戦争の悲惨さを今に伝える
原爆の図

「原爆の図」第8部 救出 部分
夫である丸木位里氏との共同制作。「あれは戦争だったから」では許されない兵器、原子爆弾のもたらす悲惨さ・苦しみは、衝撃的なこの絵によっても世に知られるようになりました。私たちは「いのちの大切さ」を、これから先の人々に伝えていかなければなりません。「原爆の図」は、芸術にもそうした力があるのだと心を強くすることができる作品です。「原爆の図」は財団法人原爆の図丸木美術館の多大なるご協力によって本展覧会で皆さまにご覧いただけることになりました。
→財団法人原爆の図丸木美術館ホームページはこちらをクリック
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
ガレリア・ニケ
ガレリア・ニケは女子美術大学杉並キャンパス内にあります。
杉並キャンパス正門

ガレリア・ニケは杉並キャンパス正門を入った右手にございます。
会期中は案内が出ています。
ガレリア・ニケ入口
今回の展覧会では丸木俊氏の初期から晩年の作品までが展示されていますので「原爆の図」の社会的意味に加え、画家としての秀でた軌跡を知ることができます。
展示作品は夫である丸木位里氏との共同制作「原爆の図」2点をはじめ、初期と晩年の油彩、晩年に多く描かれた色彩豊かな絵本の原画、そして巧みな描写力がうかがえる原爆の図とミクロネシアにおけるデッサンの数々です。さらに、絵本のコーナーも用意されていますので、実際に手にとって見ていただくことができます。
また、会場では同窓会制作のビデオ「先輩からのメッセージ――丸木俊」も上映されています(ビデオは希望者に頒布しています。詳しくは女子美同窓会本部へお問合せください)。
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丸木俊展特別ページ
2002年度 同窓会主催の展覧会
2002年5月20日(月)〜6月1日(土)
「原爆の図」の連作で知られており、女子美の大先輩でもある丸木俊氏の展覧会「丸木俊展――いのちをみつめて」が女子美同窓会主催で開催されました。丸木氏の母校、女子美術大学杉並キャンパスにあるガレリア・ニケにおいて開催されたこの展覧会には、5月20日のオープニングより多くの方にお出でいただき、多くの感激の声も寄せられました。
鑑賞にお出でいただいたみなさま、本当にありがとうございました。
また、多くの方のご協力を頂きましたことを深く感謝申し上げます。
“はじめて大学のキャンパスで「原爆の図」を見る”
丸木俊展――いのちをみつめて
■主催:女子美術大学同窓会 ■ご協力:財団法人原爆の図丸木美術館/丸木ひさ子 ■共催:女子美術大学/女子美術大学付属高等学校・中学校/杉並区
女子美術大学の大先輩である丸木俊さんの、あの「原爆の図」をはじめて大学のキャンパスに展示いたします。
第2次世界大戦が終わって半世紀以上経ち、いま日本は戦争の悲惨さを体験していない人たちが多くなってきました。
21世紀を迎え、いまだ戦火の絶えない世界の現状を見るにつけ、私たちはいのちの大切さをみつめ描き続けた丸木俊さんの、画家としてのすぐれた軌跡を知ることが大事ではないかと考えました。
この会場では代表作「原爆の図」2作とデッサン(未公開作品を含む)・若き日の油絵及びミクロネシアのデッサン・絵本の原画の3部構成となっております。
女子美術大学同窓会
2002年5月開催中の挨拶文より

「原爆の図」第8部 救出
オープニング
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ご協力いただいた丸木美術館、丸木家様をはじめとして、共催の杉並区区長、女子美術大学学長といった多くのご来賓にご出席いただいたほか、同窓会・学内の関係者も揃って5月20日(月)午後3時よりオープニングレセプションが開かれました。 |
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油彩――小品
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丸木俊さんといえば悲惨な原爆の図というイメージですが、実は女子美で油彩を学び、暖みのある作品を残しています。今回の展覧会は丸木俊さんののこうした一般にはあまり知られていない側面にも大きくスポットを当てた展示でした。 |
デッサン
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ミクロネシアのデッサン(左下)と「原爆の図」のデッサン(右下)。デッサンは丸木ひさ子様のご好意によって展示させていただくことができました。数多くのデッサンからは、丸木俊さんが永い年月描きつづけたことをささえた確かな描写力と情熱が感じられます。作家の生の線が見られる良い機会となりました。 |
絵本
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丸木俊さんは晩年、絵本も多く手がけています。今回の展覧会では、そうした絵本の原画とともに、実際の本を手にとって見ていただけるスペースも設けられ、お子さんが熱心に読みふける光景も見られました。
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展示作品について
第二次世界大戦の終り頃の1945年8月6日広島に、1945年8月9日長崎に、アメリカ軍により世界最初の原爆が落とされました。投下された原爆で30数万人の尊い生命が失われました。
広島生まれの水墨画家丸木位里と洋画家丸木俊夫妻は原爆投下直後の広島に入り惨状を目のあたりにしました。そして被爆した人々の苦しみや願いを伝えるために二人で描いたのが大作「原爆の図」です。
「原爆の図」は30年にわたり描きつづけられ、全作15部あります。原爆の図丸木美術館のご協力により今回展示されたのは、その中の第3部「水」と第8部「救出」でした。
原爆の図のデッサン・初期の油絵・絵本原画は丸木ひさ子様の特別のご好意により展示させていただきました。
丸木俊(1912〜2000)
プロフィール
1912年 2月11日北海道雨竜郡秩父別町に善性寺の長女として生まれる
1933年 女子美術専門学校(現女子美大)卒業、千葉で小学校教員になる
1937年 外交官子弟の家庭教師として1年間モスクワに滞在
1940年 ミクロネシア群島に滞在
1941年 モスクワ半年滞在後、丸木位里と結婚 池袋のアトリエ村に住む
1945年 位里の郷里広島に原爆投下 救援活動に駆けつける
1948年 片瀬にて「原爆の図」を位里と共同制作始める
この年より女流画家協会展に出品
1950年 「原爆の図」第1部〜3部を発表 国内各地で巡回展
1953年 「原爆の図」を持って国際婦人会議に出席 世界平和文化賞受賞
1967年 埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館を開館
1971年 国際童画ビエンナーレでゴールデンアップル賞受賞
1972年「原爆の図」第14部完成 以後「南京大虐殺の図」「アウシュヴィツの図」「水俣の図」「沖縄戦の図]等を位里と共同制作
1979年 ブルガリアの反ファシズムトリエンナーレ展でグランプリ受賞
1980年 「ひろしまのピカ」で絵本にっぽん大賞を受賞
1982年「原爆の図」第15部完成
「みなまた海のこえ」で小学館絵画賞を受賞
1984年 「おきなわ島のこえ」で講談社絵本賞を受賞
1988年 マサチューセッツ芸術大学より「名誉芸術博士号」を授与される
1995年 伊東市池田20世紀美術館で「丸木位里・丸木俊の世界展」
位里94歳で死去
ノーベル平和賞候補
エイボン女性大賞受賞 埼玉県民栄誉賞受賞 広島市政功労賞受賞
1996年 1995年度朝日賞受賞 ヨーロッパへスケッチ旅行
1999年 絵本「どんぶらこっこ すっこっこ」出版
2000年 1月13日87歳で永眠
原爆の図丸木美術館にて丸木俊追悼展
札幌市丸井・今井百貨店にて丸木俊追悼展
7月3日赤い鳥文学賞特別賞受賞
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