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1月の個展 於:シテ
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冬の快晴
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パリ市近代美術館前のカフェ、
暖かな午後にむかいつつあります
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先日、パリ市近代美術館で行われていたPeter Fischli&David Weissというスイス人アーティストの展覧会へ行って来た。日本で既に、幾つかの展覧会で彼らの作品を目にする機会があり、特に空港に待機中の飛行機を撮りおさめた<Airports>シリーズは興味をもっていた。<Airports>シリーズの作品は空港という非日常的な空間である「場」を捉えたもので、複数の航空会社の機体や異なる空港のショットが淡々とおさめられている。写真の中の飛行機は離陸を待つのか、メンテナンスを控えているのかはわからないが、静かに次の行程が訪れるのを待っているようである。この写真群を前にした際、今まさに旅行者である私の脳裏に一年前の雨の成田空港と、そして先に待つ帰国のことが思い起こされた。
妙な緊張と、淡い期待を抱いてこの街にやってきた日から早くも12ヶ月が経とうとしている。パリ市庁舎前のスケートリンクは片付けられ、街中には春めいた桃色の花が咲きはじめている。1月にあったシテでの展示は無事に会期を終えることが出来、幾つかの恵まれた機会ももつことができた。展示の最終日は、それまでの曇り空を吹き飛ばす冬期には珍しい快晴で、ギャラリーの河に面した窓からは溢れんばかりの日が差し込んでいた。
自称「哲学教師」の中年の男が私の展示にやって来た。なんともか細い声で語る男は、終始満面の笑みを浮かべながら、随分長いことギャラリーにいた。最初は、私が作品について少し言葉をそえたり、彼の問いに答えたりという至って当たり前の会話であった。彼の話の展開は時に飛躍を含んだが、些細な要素からの彼なりの物語の解釈や、異なる分野との関連などを語ってくれ、楽しんで彼の話を聞いていた。「目の旅」ということについて彼は、どうやら何点かの作品の中に描かれた点の筆触を目で追っていくことで、知らぬ間に絵画の空間の中に入り込み、まるで旅行者の如く空間を彷徨うことができるということについて話していた。しかしその「眼の旅」の話を機に、徐々に彼は自分の語りに熱を加えていき、ついに自身の解釈に酔いしれるかのごとく、目の前にある私の作品のことは忘れ、語りの速度には拍車がかかり、彼の視線と話の行方、また私の拙いフランス語を聞き取る意識は共に遠く彼方へ向かっていくのだった。
Fischli&Weissの待機中の飛行機は、まさにそういった「眼の旅」を促す装置となっていて、あまり複雑な要素が絡んでいないように見える事柄の裏側にある、人の意識を別の空間や意味へ導く巧みに感嘆した。イメージそのものが離陸の装置で、飛行を委ねられた鑑賞者は着陸の機会を待つ旅に出る。随分詩情にかたよった言い方になったが、Fischli&Weissの作品と向き合った際に起こったささやかな意識のトリップから、イメージから転じる旅を仕掛けるのがアーティストの仕事であり、またその旅に身を預ける行為が鑑賞の悦びではないかとふと考えた。旅というのは自由で、拘束があり、価値を得て、身分を失い、距離をはかり、言語を失うものだ。多くの事柄を獲得すると同時に、失ってしまう事柄があるふたつのあいだでなんとか均衡をはかりながら立っていようとする安泰を得る事のできないその行為は、その危うさが魅力であると同時に、恐怖も抱かせる。アーティストとはそんな旅に似た出来事の装置を仕掛けるために、滑走路で離陸を試みる実験をしながら、私のように途方に暮れてばかりいるのかもしれない。そしてまた、私にとってその滑走路での実践もまさに旅であり、この先も終着をさけながら幾つもの旅を企てていく意思を強く抱きはじめている。
追記: 今回パリ賞でいただいた一年間の滞在を経て、多くの人や事柄と出会い、私にとって大きな変化を得る機会となりました。最後にこの場をかりて、関係者の皆様に御礼申し上げたいと思います。
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ATELiER AYAKO SUZUKI
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