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1926-1934
専門学校の認可を受け、
古美術見学旅行
古美術見学旅行、嵐山にて
1933年(写真提供:賀谷喜美子さん)
  
 
昭和時代の幕開け
年号は昭和となり、激動の時代の幕が開けました。世界恐慌、満州事変等も起こり、日本は国際的にも孤立化の道を余儀なくされ、1932年(昭和7)国際連盟を脱退します。一方、1931年(昭和6)羽田国際空港の開港、1932年東京―神戸間に超特急「つばめ号」の運転開始、上野―浅草間に地下鉄の開通など、スピード時代のはじまりでもありました。1932年、東京市の人口は497万人で、世界第2位の大都市となりました。
女子美教育の成果が実る
創立から20余年、経営の困難を伴いながらも、1929年(昭和4)には女子美術専門学校に昇格しました。生徒在籍数は809名で菊坂校舎は手狭となり、新しい校舎を建てるための協力を内外に求めました。刺繍科は昭和天皇即位の御大礼献上品の製作を依頼され、また「万国婦人子供博覧会」や「商品改良婦人手工芸作品展」に生徒作品を出品するなど、本校の特色が社会的にも認められました。毎年、「女子美術学校生徒図案応用浴衣地展覧会」が銀座松屋等の主催で開かれるなど、対外的な活動も増えました。
 1930年(昭和5)には女子美術専門学校創立30周年、佐藤高等女学校創立15周年記念祝賀会を、神宮外苑の日本青年会館で挙行し、菊坂校舎では作品展覧会や、バザーが開催され好評を博し、入場券の売上数4,830枚と記録されています。1932年(昭和7)から常設の講習会が年間を通して一般にも開かれました。和服、刺繍、造花、洋服、編物のクラスで、本校卒業生には月謝の減額特典がありました。

 
完成した杉並校舎
1934年の12月に完成した杉並校舎
杉並校舎建築予想図
杉並校舎建築予想図(1925年の維持会報より)
1934年頃の刺繍科学生
1934年頃の刺繍科学生
正面ロビーのヴィーナス像 正面ロビーのヴィーナス像
正面ロビーのヴィーナス像は女子美生の象徴
 
美術団体設立ラッシュ
昭和元年、東京府立美術館、1931年(昭和6)には、東京国立博物館などが開館。パリやローマで横山大観などの日本美術展も開催されました。
 この頃多くの美術団体などが結成されました。1927年(昭和2)の帝展に美術工芸部が設立され、柳宗悦著『雑器の美』は民芸運動の端緒となりました。美術の分野も広汎になり、商業美術への関心も少しづつ向けられるようになりました。
 カンディンスキーの絵画、グロピウスや、ル・コルビジェのモダン建築なども、刺激ある情報として、この頃多く発刊されはじめた美術雑誌などに紹介されました。プロレタリア美術家の団体も設立されますが1932年(昭和7)の帝展では、それらの作家が落選するなど、思想弾圧は美術界にも及びはじめました。


モガ・モボが一世を風靡
西欧文化の吸収で洋服姿が増えはじめますが、まだ和服が圧倒的に多い中で、洋装でおしゃれをする若い男女が「モガ、モボ」といわれ流行の先端でした。
 菊坂校舎のあった本郷界隈は、帝大(現東大)や一高の学生達で活気に満ち、古本屋や、コーヒーショップ「三四郎」などで、若者がたむろする中、スケッチブックを抱え、個性的な姿の女子美の生徒は目立つ存在でした。
 欧州ではシャネルが女性のコルセットからの解放を主張し、女性の社会的進出に伴なって活動的なスタイルが日本でも歓迎される一方、和服のお洒落も盛んで、刺繍を施した美しい半襟等が流行しました。
 東京でもファッションショウが開かれるようになりました。パーマネントが普及し、1934年(昭和9)、日本初のスタイルブック『服装文化』が文化服装学院から出版されました。

 明治の気骨あふれる先生達
日下部重太郎先生(文学)
絶妙な語りかけで授業をすすめられ、時には即興で詩吟をなさいました。
香田勝由先生(洋画)
フランス留学時代の思い出話などがものめずらしく楽しいひとときでした。
平井富夫先生(用器画)
小柄な体を存分に使い、大きな三角定規を自由に操り、黒板中に作図をしました。
松岡フユ先生(刺繍)
教育界でも刺繍工芸の世界でも長く活躍され、刺繍の著作も多いことで知られています。


展覧会活動が盛んになりました。
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同窓生の活躍が活況を呈しました。各種展覧会の出品、グループ展、個展等、第二次大戦直前の1940年(昭和15)頃まで盛んでした。主な団体展は、帝展、二科展、院展、青龍社展、光風会展、東光会展、文展、文展招待展、独立美術展、皇紀2600年奉祝美術展、春陽会、国画会、創作協会、など毎年入選者も増えていました。
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台湾、韓国の展覧会へも出品し入選しています。また、各科や地域ごとにグループを結成して個性ある展覧会が次々と開かれました。青柿会(昭和5〜6卒 日)、素顔会(昭和5〜6卒 洋)、素顔社仕洋会(昭和7卒 洋)、鏡の友(刺繍・造花卒)、秋香会(昭和8卒 洋)、童朱会(昭和9卒 洋)などです。
森田元子
  三谷十糸子
森田元子(大正13年 洋画卒)『緑衣』
  三谷十糸子(大正14年 日本画卒)『朝』
1927〜1930年頃の物価
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タクシー
(東京市内)‥‥‥1円
カレーライス‥‥‥10〜12銭
        (1927年)
コーヒー‥‥‥10銭
映画入場料(日本映画封切館)
    ‥‥‥40銭(1930年)
 同窓会の動き
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毎年新入生を迎えて懇親会を催す。
1928年(昭和3) 『女子美術学校同窓会会報』7号発行。これには大正15年〜昭和3年までの卒業生名簿を掲載。濱幸次郎副会長が広島、下関、岡山、大阪、神戸、名古屋各地の同窓会に出向く。刺繍作品展を機に新潟支部発足。札幌支部発足。(会員20名)
1929年 『女子美術学校同窓会会報』8号発行。
1930年(昭和5) 同窓生も全国府県にわたり、韓国、台湾、中国にもおよび各地で同窓会を開く。(会報8号より)
1931年 『女子美術専門学校鏡友会・同窓会会報』「30周年記念号発行。
1932年 『女子美術専門学校同窓会会報』10号発行。『女子美術専門学校同窓会会報』11号発行。赤沼ヤエ、松岡フユ両先生地方同窓会に出席。( )内は出席人数。大阪(32)、岡山(42)、下関(9)、福岡(26)、長崎(14)、広島(7)、姫路神戸(21)。同窓会・懇親会、東京帝国ホテルにて開催。台湾支部発足。
1934年 杉並校舎設立のための維持会に協力。『女子美術専門学校同窓会会報』12号発行。
 
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