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1970-1979
高度成長で幕開けしたが、
高度成長政策が破綻に向かう
70年代は大阪万博で華やかにスタート。札幌オリンピック開催など高度経済成長期と重なり、日本にパワーがあふれた時代でした。その一方、1973年のオイルショックのように、世界経済の渦に巻き込まれ、トイレットペーパーを買い占めに走る庶民の珍現象や、浅間山荘事件、ロッキード事件などマイナスのイメージで記憶に残る事も多くありました。物が豊富になり新しい商品がどんどん生み出されて、人々の歩く早さが倍になるほど元気がありました。しかし、戦後初のマイナス経済成長など、繁栄に陰りがでてきます。


新しい風が吹いてきた
美術界では1972年(昭和47)に高松塚古墳の極彩色壁画の発見、1973年のピカソの死、1977年にはパリのポンピドゥーセンターの開館などが注目されました。日本では1971年にゴヤ展と1974年にモナリザ展など、門外不出の作品が次々に来日。美術愛好家だけでなく一般の人も数多く美術館に足を運びました。
また、1972年クリストが「ヴァレー・カーテン」を発表、1977年ニューヨークではホログラフィーの美術館がオープン。アンディ・ウォーホルが次々に注目作を発表し、ビデオ・アートなど新しいアートの風も吹きはじめました。
デザイン界ではファッションビルから発せられるポスターに、横尾忠則や山口はるみなどのイラストレ−ションが使われ活力がありました。


情報がいっぱい
『anan』、『non-no』、『ぴあ』、『ポパイ』など、若者向け情報雑誌の創刊、渋谷パルコ、東急ハンズの開店、マクドナルドの日本進出、ウォークマンの発売など、若い人への新しい流行情報が次々と発信されました。
ファッションはヒッピールックにはじまり、フォークロア、マキシやパンタロンに代表されるロンドンファッションに元祖厚底ブーツがはやり、後半はニュートラと呼ばれるお嬢様風が主流で、多くの女子美生も流行に敏感に反応しておしゃれを楽しんでいました。
音楽はテレビで歌番組が多かった事もあり歌謡曲が全国的にヒットしました。「シクラメンのかほり」、「およげたいやきくん」などが大ヒットし、一方ディスコができソウルやダンスミュージックが流行り、また美大出身者が多かったニューミュージックも根強い人気がありました。
映画は「ゴッドファーザー」、「スターウォーズ」、「未知との遭遇」など今も人気のある作品が封切られ、演劇は渋谷ジャンジャンでのアングラ劇や天井桟敷が人気を博し、宝塚が「ベルサイユのばら」を大ヒットさせたのもこの頃でした。


女子美祭。自前の衣装を身につけて
  女子美祭。自前の衣装を身につけて
 
日本画科
日本画科
 
生活デザイン科(短期大学)
生活デザイン科(短期大学)
 
彫塑科(短期大学)
彫塑科(短期大学)
 
衣服デザイン科(短期大学)
衣服デザイン科(短期大学)
 
女子美祭 1977年
女子美祭 1977年
 
造形学科の国立西洋美術館見学
造形学科の国立西洋美術館見学
 
女子美祭
女子美祭
なんとなく女子大生
70年代の女子美は、前半は70年安保や、大学改革のデモに参加したり、学生運動が盛んでしたが、後半は学生運動のピークが過ぎ、全学連を脱会した事もあり静かな時代となりました。
それでも学生生活は楽しいもので、汚れてもかまわないオーバーオールやジーンズに身を包み、課題に追われる毎日でした。
造形学では今と比較すると、とてつもなく大きなコンピューターを使って、立方体を回転させるのに大変な時間をかけていました。また、リキテックス・ペーパーセメント・プリントゴッコ・エアーブラシなど新しい画材や道具が発売され、デザイン系だけでなく絵画系・生活デザイン系などの作品に大いに取り入れられました。
クラブは、体育系7、美術系4、音楽系4、文科系5、同好会7があり、しかも部室が10室しかなく、いくつものクラブが同居しながら活動しました。モダンダンスは赤坂公会堂で公演、卓球は五美大戦で優勝、放送研は東芝主催のDJコンテストで等身大のトロフィーを獲得するなど活発に活動していました。
この時期から卒業式に色無地の着物に袴姿がはやりだし、生協で貸し袴まで登場しました。美大というより女子大の色が濃くなっていました。
1979年 卒業式
1979年 卒業式

女子美祭のときは、なぜか男子学生であふれ、模擬店のやきそば作りは彼等が主役でした。学内での飲酒は禁止で終了時間も早く、清く正しい大学祭でした。
和田寮では春に寮祭があり、各階に別れて体育館の舞台で劇などを披露して楽しみました。また1部屋4人で、使用できるコンセントはなく、地下のアトリエをこっそり使った思い出のある人も多いそうです。


思い出の先生
岡田節子先生(洋画)
制作と教職に励まれながら、親友の桜井悦先生を長年介護された友情は羨ましい位です。
菊池溶子先生(英語)
独特のハスキーボイスで授業を脱線しては、色々な昔話をするなど、おしゃれでおおらかな人柄に人気がありました。
藤田栄一先生(グラフィック)
短大創立時より熱心に指導され、長身でニヒルな感じの先生に、熱をあげる学生もいました。
松島道也先生(西洋美術史)
教壇を踊るように行き来し、とても熱い言葉で授業を進められたのが印象的。
吉本孝先生(ディスプレイ)
ジェトロでご活躍の先生が本学に初めてのディスプレイデザイン教室を作られた。


同窓生初の学長誕生
1970年(昭和45)10月、創立70周年記念。
1971年1月、第1回学長選挙において三谷十糸子先生が第8代学長に就任。
1972年11月、第19回日本デザイン学会を本学で開催。
1974年9月、体育館(7号館)完成。
1975年4月、第9代学長に柳悦孝先生が就任。
1976年4月、芸術学部絵画科洋画専攻に版画コースを新設。12月、学内の造形芸術研究会からの基金により卒業制作賞の創設。
1977年4月、学則の全面改正により、優良可から成績評価がABCD表示となる。
1978年2月、第1回東京五美術大学連合卒業制作展を開催。(女子美・多摩美・東京造形大・武蔵美・日大芸術学部)
1979年8月、 軽井沢寮新築完成。9月、10号館完成。

1970年の物価
 
ラーメン‥‥‥
はがき‥‥‥‥
国鉄初乗‥‥‥
コーヒー‥‥‥
映 画‥‥‥‥
新 聞‥‥‥‥
パーマ‥‥‥‥
大卒初任給‥‥
 
180円
7円
30円
280円
700円
900円
1,710円
42,885円
同窓会の動き
.
1970年(昭和45) 10月、霞ケ関東京会館にて70周年記念総会。バザー開催。売上げで大学に女子美同窓会奨学資金を設置するための基本金を贈呈。同窓会報『女子美術』21号創立70周年記念号を発行。名簿発刊。加藤学長逝去により同窓会会長は、会員の中より選出され、初代は茂木智子会長。奈良・京都支部発足。
1971年 10月、京王プラザにて総会。
1972年 女子美術大学同窓会奨学金の制定。1976年まで会報休刊。
1973年 入会金2,000円、会費3,000円。会長 仲佐初枝。支部長招待会議。
1974年 新体育館落成記念に幟旗寄贈。卒業証書の紙簡を記念品として贈る(1991年まで)。会費3,000円から5,000円に。75周年記念事業として奨学基金募集。目標1,000万円。会長 坂口寿子。
1975年 青森・山梨支部発足。
1976年 会長 宮内英子。韓国支部発足。
1977年 『女子美術同窓会たより』第1号6年ぶりに発行。(以降年1回発行)10月、国労共済東高円寺寮にて女子美祭と時期を同じくして総会。3名に同窓会奨学金(以下奨学金とする)を授与。会費5,000円から10,000円に。
1978年 4名に奨学金を授与。会長 岡田鶴子。
1979年 4名に奨学金授与。会長 手塚清。
 
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