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1990-2001
相模原校舎が竣工100周年
インターネットによる情報革命
1995年(平成7)の阪神淡路大震災、三宅島の火山噴火、台湾の地震等、世界各地で自然災害が多発しました。また、地下鉄サリン事件や青少年の犯罪も多く、教育問題も議論になりました。
長引く不況は、銀行・大手企業の倒産をもたらし、一方で、環境破壊が進み、地球環境への問題が提議されるようになりました。さらに、地球温暖化という問題に直面し、省エネ対策と資源のリサイクルが法令化されました。
携帯電話やパソコンの普及で、自宅にいながら世界の情報を入手できるIT時代に突入しました。

ジェンダリズムが議論を呼ぶ
1990年(平成2)、東京国立近代美術館で、国立美術館としては初のマンガ展「手塚治虫展」が開催されました。1993年には江戸東京博物館が東京両国に開館しました。
 ユネスコ世界遺産に、法隆寺地域の仏教建造物と姫路城などが指定され、1994年には京都を中心とした清水寺、平等院など17ヵ所が追加指定されました。この年、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞しました。
 1997年ジェンダリズム論議が起こり、女性論もさまざまに展開しました。
 90年代後半になると、消費の低迷による営業不振から、セゾン美術館、新宿の三越美術館が閉館を余儀なくされました。
 一方、映画ではSFXやCGを駆使した作品が次々と製作され、アートもコンピューターアート、インスタレーションなど、新しい表現方法が盛んになりました。

 
相模原校舎
相模原校舎
多田美波『張 Expansion』(相模原)
多田美波『張 Expansion』(相模原)
ガレリアニケ(杉並)
ガレリアニケ(杉並)
100周年委員会発足
100周年委員会発足
女子美新世紀への胎動
1990年、相模原校舎が落成。創立90周年記念式展を挙行しました。記念展として、「大久保婦久子・片岡球子・多田美波・三岸節子展」を開催。芸術学部を絵画科(洋画専攻・日本画専攻)、デザイン科(造形計画専攻・環境計画専攻)、工芸科、芸術学科に改組。入学定員を200名から400名に。
1991年、第12代学長に松島道也先生就任。女子美画廊閉廊。
1993年、第6代理事長に本明寛先生就任。短期大学造形科を絵画・彫塑・情報デザイン・空間デザインの5専攻に改組。また服飾科は洋裁教室を服飾デザインコース、刺繍教室を刺繍コースとして、一部カリキュラムを変更。
1994年、大学院美術研究科修士課程設置。
1995年、第13代学長に近江源太郎先生が就任。阪神・淡路大震災の仮設住宅へ、教員・学生の作品を寄贈しました。 
1996年、大学院美術研究科(博士後期課程)を設置。杉並校舎にガレリアニケを開設。学生や同窓生の作品展示、地域や他校との連帯行事に使われることになりました。
1997年、第6代理事長に大村智先生が就任。
1998年、女子美ホームページを開設。
1999年、第14代学長に小松弘光先生就任。「日赤医療センター癒しの壁画プロジェクト」がはじまり、2000年にかけて延べ210名の学生が参加しました。
2000年、平成13年度開設の「新教育組織」を文部省に申請。創立100周年記念式典、記念特別講演会、祝賀会を開催しました。


キャンバスの思い出
・ 相模原校舎はバス通学が一般的だが、自転車で通う人も多かった。時間にして25分位かかったが、夜遅くなると、暗くて寂しかった。今考えると、よく通ったものだと思う。
・ 片手に携帯電話、背中にはリュック。ヘッドホーンで音楽を聴きながら学内を歩いていた。
・ 杉並校舎では迷路のような地下にクラブの部屋がひしめき新入生はたどり着くのに苦労した。ニケ広場は芸術家の卵達のデモンストレーションの舞台として利用された(1998年卒同窓生の思い出より)。


文化勲章受章者
1989年(平成元)
片岡球子(日本画)

『風景』『風景』

2000年(平成12)
大久保婦久子(皮革工芸)
『槻木』『槻木』
1999年の物価
 
ラーメン‥‥‥‥
はがき‥‥‥‥‥
JR初乗り‥‥‥‥
(東京地区)
コーヒー‥‥‥‥
映 画‥‥‥‥‥  
新 聞‥‥‥‥‥
パーマ‥‥‥‥‥
大卒初任給(男)
     (女)
たばこ‥‥‥‥‥
(ハイライト)
銭 湯‥‥‥‥‥
 
520円
50円
130円

410円
1,800円
3,925円
7,600円197,000円
189,000円
250円

385円

(日本統計年鑑平成13年度より)


同窓会の動き
.
1990年(平成2) 11月、初めて相模原校舎にて総会。6名に同窓会奨学金(以下奨学金)を授与。会長 中川かつ。
1991年 創立90周年記念・相模原校舎開学記念寄贈品として多田美波(洋画昭和19卒)の作品「張」を贈り4月8日落成祝賀会を催した。同窓会名簿を発行。同窓生の数は42,000余名となる。杉並校舎にて総会。6名に奨学金を授与。大学評議員として、高尾みつ、橋本璋子、中川かつ就任。
1992年 栃木支部発足。女子美術大学資料館へ芹沢金圭介コレクション寄贈。女子美教育振興協力募金のためにバザーを開く(600万円を寄付)。卒業証書ファイルを記念品として贈る。杉並校舎にて総会。12名に奨学金を授与。大学評議員として、金山桂子就任。
1993年 阪神支部が大阪地区、兵庫地区、淡路地区となる。海外在住の同窓生にも会報『TAYORI』を発送する。卒業ファイル3種となる。杉並校舎にて総会(講演 入江観先生)。12名に奨学金を授与。会長 阿久津圭子。
1994年 静岡支部発足。同窓会の基本指針を成文化する。ホテルセンチュリーハイアットにて総会(パネルトーク講演「私のなかの女子美」多田美波、新井明子、小泉和子)。同窓会組織の見直しを計る「見直し委員会」を発足。12名に奨学金を授与。大学評議員として阿久津圭子就任。
1995年 100周年委員会発足。JAW(女子美アート・ウェーブ・卒業生有志の会)発足。相模原校舎にて総会。(講演「歴史の中の女と、現在」永畑道子先生)。女子美100人パネルPartT制作。阪神・淡路大震災の折、該当する支部に見舞金をおくる。多摩美の校友会発足にあたり、阿久津会長中心に同窓会が組織作りに協力。 12名に奨学金を授与。大学評議員として小泉和子、中山ヤス子、高橋英子就任。
1996年 女子美100人パネルPartU制作。多田美波が大学理事に就任する。ホテルセンチュリーハイアットにて総会(講演「皮革について」大久保婦久子)。幹事会運営委員会、理事選考委員会発足。100周年記念事業の資金及び大学100周年事業への寄付のためバザーを開催。12名に奨学金を授与。
1997年 長野支部発足。女子美100人パネルPartV制作。杉並校舎にて総会(講演「21世紀の女性」山本耀司先生)。事務局の規定を作成する。12名に奨学金を授与。会長 工藤恒子。大学評議員として工藤恒子就任。
1998年 滋賀支部発足。女子美100人パネルPartW制作。ホテルセンチュリーハイアットにて総会(講演と朗読「一葉の魅力・十三夜」幸田弘子)。12名に奨学金を授与。広島支部50周年式典・50周年史発刊。大学評議員として倉田晃子、濱西冨美子、もたい毬就任。
1999年 ビデオ「先輩からのメッセージ」を制作(三岸節子、片岡球子、多田美波)。女子美100人パネルPartX制作。同窓会会長として工藤恒子が大学理事に就任。杉並校舎にて総会(講演「服部早苗キルトの世界」服部早苗)。
12名に奨学金を授与。
2000年 千葉支部発足。杉並校舎にて総会(講演「ニューヨーク式プレゼンテーション」海老原嘉子)。同窓会の基本指針は時代をみすえた発想をもとに改正。12名に奨学金を授与。
2001年 4月、JOSHIBI同窓会の歴史発刊。

支部長会議
1987年 第1回支部長会議 中野サンプラザ
1989年 第2回支部長会議 東京ガーデンパレス
1991年 第3回支部長会議 東京ガーデンパレス
1993年 第4回支部長会議 東京ガーデンパレス
1995年 第5回支部長会議 ホテルセンチュリーハイアット
1997年 第6回支部長会議 杉並校舎 ホテルセンチュリーハイアットにて懇親会
1999年 第7回拡大支部長会議 虎ノ門パストラル(100周年ワークショップ説明のため、支部長及び、ワークショップ委員1名を招待)

絵いっぱい運動
1973年米国人宣教師ケネス・E・ハイム氏の提唱した「病院に絵いっぱい運動」に同窓会が賛同し、1983年より同窓会事業として病院や福祉施設へ絵を寄贈するこの活動は18年目に入る。以来2000年までに延べ129カ所へ317点を贈る。患者さんの心の癒しに役に立つことを目的とし、同窓生の作品を各地の病院や施設に寄贈してきた。
近年、子供達の心のケアや高齢者福祉が大きな社会問題となっている折、病院だけでなくいろいろな施設にも、心の潤いを届けたいと寄贈先の範囲を広げ、名称を「絵いっぱい運動」と改め活動。最近、施設からの希望も多く現在寄贈作品が不足。同窓生のより一層の協力を望む。
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