NAKED/ネイキット――裸――
2000年 ベニサン・ピット
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SUPPLIANTS
1998年 ロンドン・オフウエストエンド
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令嬢ジュリー
1999年 ベニサン・ピット
第27回伊藤熹朔賞受賞
第7回読売演劇大賞優秀スタッフ賞受賞
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三人姉妹
2001年 シアターコクーン
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法王庁の避妊法
2003年 世田谷パブリックシアター
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美術助手になったきっかけは修士論文とお礼状
女子美を卒業後、共立女子大学大学院の演劇専攻に進みました。1年のとき修士論文を書くため、江東区にあるベニサン・ピットという劇場の支配人さんの娘さんでもあり、当時松竹で演劇のプロデューサーをしていた方にお会いしたんです。その後、自分の個展の案内状と合わせてお礼状を出したり、舞台美術に興味があることも話していましたので、そのことを覚えていてくださった娘さんが、tpt(シアタープロジェクト)という劇団の立ち上げで「小道具で絵が必要なんだけど、描いてみない?」と連絡をしてくださったんです。まだ学生でしたが、これをきっかけに、そのまま劇団の手伝いを始めました。
初めの頃は、小道具で絵を描いていました。その後、演出部スタッフになって実際の舞台を動かしたり、小道具を用意したり、地方公演のために旅をしたりと、自分とは無縁だと思っていた体育会系的な下積み時代を2年程送りました。
「神様」のアシスタントをしたのだから、もうアシスタントはやめると決めた!
tptの芸術監督で演出家デヴィッド・ルヴォーや、私がアシスタントをしていた美術家もイギリス人だったので、自然と勉強するならイギリスかなと思っていました。そして、tptの第1回交換留学生としてロンドンのモトリー・シアターデザインコースへ行きました。
その間、ボブ・クローリーという、私に舞台美術家を目指す決心をさせた人のアシスタントをするチャンスが巡ってきました。私にとってこの方は「神様」ですから、「神様」のアシスタントをしたのだから「もうアシスタントはしない!」と心に決めました(笑)。
私のデザイナーとしてのスタートはtptでの公演でしたが、これはモトリーの最後の講評会に来たデヴィッドが決めてくれました。ロンドンの滞在予定は当初1年でしたが、日本とイギリスで仕事をしながら、結局4年間住みついてしまいました。
日本では美術家の弟子になって何年も経験を積んだり、劇団に所属してその中で仕事を得るということが多い中、私は海外での経験や外国人との仕事が多かったため、とてもラッキーな形でスタート出来たのだと思います。
また、海外の場合、仕事の上では年齢など関係なくお互いに名前で呼び合い、対等に皆で意見を交換し合って創り上げて行くという環境で、素晴らしい経験でした。
初めての仕事では、小さかった模型が巨大化して建ったことに感動したのを覚えています。役者さんがいて、お客さまがいることに安堵したと同時に「空間が出来た」と思いました。無事に幕が開いて、楽屋のモニターから見ていると、温泉にでも入っているような、幸せな脱力感を感じます。その瞬間が好きで、やめようと思いながらも「またやろうかな」と思ってしまうんです。
チケット代分の責任
仕事の進め方はその作品ごとに違いますので、決まった制作スケジュールというのはありません。舞台絵図を描く方も多いのですが、私の場合は模型を作ります。実際の舞台で使って欲しい素材を使い、できるだけ実物と近い形になるようにしています。舞台稽古の1ヶ月前には、工場に渡してセットを作ってもらいます。それからは、私が工場に出向き、色を決めたり、一人残って自分で直接加工したり、背景さんを呼んで一緒に作ることもあります。「ネイキット」という芝居を手がけたときは、私がイメージで捉えてしまったため、「言われても分からないから自分でやれ」と言われてしまったんです(笑)。ですから、自分で1週間泊り込んで制作しました。マネキンを37体、いろんな人に見立てながら、包帯を300本染めてぐるぐる巻きにしたんです。
芝居では、制作した物に対して絵と違った責任を感じます。絵の場合、見に来た方が気に入って買って下さったとき、初めてお金が発生します。けれど、芝居は観る前にチケットを買っていただきますから、お客様に満足していただけるよう、常に意識していますその上で、役者さんが何でもできる空間、「邪魔しない空間」を創りたいと思います。
若い人へのメッセージ
女子美はとても自由な校風で、競争がなく、「マイペースな私」を確立できた所です。おかげで、とてもノビノビと学生生活を送れたと思います。美術には「これが正しい」という答えは無いので、人と争うのは無意味だと思います。ひとつの作品を全員が支持するなんてありえないですから。それに、最初から舞台美術を始めた人は空間で捉えますが、私は平面的なことを絵で学んだので、それが強みになっていると思います。卒業した後も聴講生として学校に行きましたけれど、やっぱり女子美が一番根本にあると思います。だから、学生さんには存分に学生生活を楽しんで欲しいです。私は模範生徒ではありませんでしたが、学校は大好きでした(笑)。 |