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テアトル・エコーに出した創作戯曲が佳作入選
もともと、文章を書くのは好きでした。女子美時代は手間のかかる課題が次々に出されて、それを作る道具もたくさんある環境でいろいろ作れたのはいいんですが、卒業したらもっと楽をしたいと思ったのです(笑)。そこで紙と鉛筆だけで何か表現できないだろうかと考えました。
最初は詩や童話などの短い物を書き散らかしていたんです。ただ、人の会話のやり取りがすごく好きだったので、脚本のようなものをまず書いてみようと思いました。
1本目に書いた脚本は俳優座に応募しました。初めてでしたし、芝居も観ていなくて、なにも解らずに書いていましたから、箸にも棒にもかからなければそれまでのつもりでいたんです。その作品が最終候補まで残り、選考委員の先生方から選評が送られて来たんです。その中で、まだまだなってないという方も、でも好きな作品だと言って下さる方もいました。それで、そういう風にいろいろな意見を持ってる人がいるのなら「私も受け入れてもらえるかもしれない」ということに励まされて2本目を書きました。テアトル・エコーに応募したのは、1回目と同様、書き上げた時に丁度募集していたからです(笑)。
その作品で佳作を頂きました。入選ではなかったので上演の予定はなかったのですが、当時の私は賞金を貰えてすっかり満足してしまい、それきり芝居は書かないでいたんです。ところがそれから3年後、この作品を気にって下さったテアトル・エコーの熊倉一雄さんが、ご自身の演出・出演で上演にこぎつけてくださいました。それ以降、作品をテアトル・エコーで上演していただくというお付き合いが今に続いています。他にも仕事を持ちながらの、まったくのマイペースではありますが、なんとか書き続けています。
井上ひさし事務所での秘書の仕事は、まったくの偶然から始まった
父が井上ひさしさんと同級生だったので、全然お芝居とは関係ないところから決まった仕事です。父と遊びに行った時に、「ぶらぶらしてるんならうちに来ない?」と言われて現在に至ります。仕事はとても楽しいです。芝居に関する本など、神保町の古書店に行くよりもここで探した方がいいというくらい資料にはことかかないですし、なにより大作家の仕事ぶりを至近距離で見られるのですから、とても恵まれた環境ですね。もちろん私が芝居を書いていることにも大変理解してくれています。私の書いた舞台を観に来てくれることもありますが、それはもうどきどきです。
作品を上演する劇団は地方劇団から都内の劇団まで様々
上演したいとどこかの劇団の声があった場合、基本的に著作権、上演権は作者にありますから作者が了解すれば上演できます。小学館から「せりふの時代」という戯曲雑誌が発行されていて、そこに私の作品を掲載していただくことがあるんです。掲載されるのは主に書下ろしの新作ですから、初演の時期、私の場合はテアトル・エコーでの公演が殆どですが、その公演と前後して載ることが多いです。その掲載された戯曲を読んだ方から、上演のお申し込みをいただいたりするわけです。北海道から九州まで、自分が行ったことのない土地でも上演していただけるというのは、とても感慨深いものがあります。
仕事の流れ
最初に書き上げたものを劇団に持って行って上演してもらうこともあるし、公演予定を決めてから書くこともあります。その場合は、先方から脚本の〆切が厳しく(笑)申し渡されます。私がお世話になっているテアトル・エコーは自社ビルの中に稽古場も劇場もあるのですが、一般的には、まず劇場をおさえなければいけませんから、場所と公演予定が先に決まることが多いです。それから、出演者が先に決まっていている場合は、人数や出演者のデータをもとに書き始めます。
ストーリーを書き始める時、すでに最後の台詞はたいてい決まっています。その最後の台詞に向かう途中を、面白い言葉のやり取りで膨らませたり、笑える状況を盛り込むためにちょっと寄り道させたりという作業です。プロットが出来てしまえば、執筆自体は最短記録で2週間。人間らしい生活をしながらなら1、2ヶ月ですね(笑)。
稽古中は演出家がいらっしゃるので、あまり口を出さないよう心掛けていますが、稽古場にはかなり付き合います。台本を直すなどのフォローの面ももちろんありますが、芝居が作られていくのを観るのは面白いし、勉強になりますから。本番中も極力劇場にいます。この本番から学ぶこともまた多いのです。
作品はもれなく喜劇
出発点となったテアトル・エコーが喜劇の老舗ということもありますが、私の作品はもれなく喜劇ですね。喋っている本人たちは一生懸命だけど、そのやりとりの「言葉」が面白いことってありますよね。その「会話の妙」が好きなんです。
どの作品も思い出深いのですが、『もやしの唄』には特に思い入れがあります。それまでは現代劇を書いていましたが、この作品だけ時代を遡って、昭和40年頃を舞台にしました。父の実家がかつてもやし屋をやっていて、あまりにも知られていないこの家業の苦労を知って欲しいという思いもありました。父の兄がモデルになっています。モデルがいるのも初めてだったし、自分のルーツを辿ったという点でも特別な作品です。
苦労したこと
芝居を書くのは好きでしていることなので楽しいです。制約の多い中で書く事は、やりがいでもあります。でもその「1本の芝居を書くこと」が「苦労」なんです。大変な世界に来てしまったと思います。
最初は、私の頭の中にしかなかったものが、「生身の人間によって目の前に現れる」それがなんとも不思議でした。ただ、そうそう不思議がったり、楽しんでばかりもいられない。芝居は大勢の人が少なくない時間を掛けて作るものです。それに、お客さまはお金を払ってわざわざ劇場までいらっしゃる。関わる人の多さと費やされる時間を思うと本当に責任の重い仕事だと思います。それはそのまま作品を作ることへのプレッシャーになりますね。書くのは本当に楽しいんですけどね(笑)。
女子美で学んだこと
私たちの学生時代はバブル華やかなりし頃でしたから、世の女子大生たちはお立ち台で踊っている、でも私たちは課題、課題…。家も遠く、とにかくきつかったです。ただ、あれを乗り越えたから今の仕事も乗り切れるのだと思います。その時作った帯や半襟、額装などの作品が手許に残っているのですが、あれを一針一針、完成まで漕ぎ着けたということは、大きな自信に繋がりました。先生がプロ意識の高い方でしたから、凄くレベルの高い物を要求されたんです。今思えばプロの厳しさを教えてもらったと感謝しています。糸や針は今でもとってあります。もし芝居の仕事がなくなっても、刺繍でちくちく食べていけばいいんだ…という心の支えに(笑)。今ならもう少しゆとりを持って楽しく刺せそうですし。結局、自分の好きなように作品を作ることが好きなんですね。
女子美在学生へのメッセージ
「楽しい」と「楽」は必ずしもイコールではありません。楽じゃないけど楽しいと感じられることを見つけて下さい。面倒くさく不公平な世の中を少しでも楽しく渡って行くために、自分にあったペースを知るのは案外大事なことですし、学生時代はそれを知ったり整えたりするのに最適の時間だと思います。
プロフィール
1967年、神奈川生まれ。女子美術短期大学刺繍科卒業。93年、テアトル・エコーにて「深く眠ろう死の手前ぐらいまで」が佳作入選。96年4月から井上ひさし氏の事務所で秘書をつとめる傍ら戯曲の執筆に取り組む。
1996年 「深く眠ろう、死の手前ぐらいまで」 (テアトル・エコー)
1998年 「お勝手の姫」 (テアトル・エコー)
2000年 「やっかいな楽園」(テアトル・エコー)
2003年 「ちゃんとした道」(テアトル・エコー)
2003年 「涙で頬が傷だらけ」(テアトル・エコー)
2004年 「もやしの唄」(テアトル・エコー)
2004年 「ジュリエットたち」(劇団昴 ザ゙・サードステージ)
テアトル・エコーのお歳暮みゅーじかる「涙で頬が傷だらけ」のミュージカルナンバーがCDになりました。
■音楽/上田 亨
テアトルエコーHPにて販売中
http://www.t-echo.co.jp/index.html
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