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佐野ぬい ―後編―
ライブラリは、アートの様々な分野で第一線に立ち、すぐれた業績を残されている同窓生の方々をご紹介するコーナーです。
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| ライブラリ第1回目は、洋画家として活躍されている佐野ぬいさんです。 佐野さんは現在、同窓会会長として同窓会の新しい展開と発展に力を尽くされています。 |
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佐野ぬいさん
作品
![]() 青と黒のドキュメント1 2001年 油彩
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佐野ぬい(洋画家) ― 後編 ―
女子美卒業後、佐野さんはどのようにして作風を確立していかれたのでしょうか。そして、佐野さんの「現在」は。後編では、佐野さんのとどまるところを知らない活動をご紹介します。
卒業ののち――1950年代 1955年、佐野さんは女子美を卒業し、母校の芸術学部で助手をつとめはじめました。 卒業したその年、佐野さんは尊敬している先生方に自分の作品をぜひ見てもらいたいという強い気持ちから、 女流絵画協会展と新制作協会展に作品を出品します。 いずれも入選し、女流絵画協会展では出品作品「花・水・木」と「或るところ」の2点がT夫人賞(一般奨励賞)を受賞するという画家として幸先の良いスタートを切りました。 佐野さんは、新制作協会の画家たちからも絵についての助言を受けるようになり、 大学時代とは別の学びの場を得ていきました。 この頃の作品には、まだ現実の事物の姿が抽象化されて半ば残っていましたが、 形象のくり返しといった画面構成に抽象化への兆しがすでに見られる作品もありました。 この時代はまた、アンフォルメル旋風が巻き起こった時代でもありました。 佐野さんはこの時代、このムーブメント特有の厚塗りを試みた作品も制作しています。 1957年には女流絵画協会の会員となりました。 画風の確立へ――1960年代、ダークブルーの系列 1961年から女子美の専任講師となった佐野さんの画風は、 60年代に入ると同時により抽象的になっていきました。 さらに作品のタイトルには「青」という字がよく使われるようになります。 この時期はグランドの中にフィギュアのある画風を持ちながらも、 色面構成としての構図や動きのある運筆が見られるようになり、 佐野さん独自の作風がより強く現れるようになってきます。1965年、67年、68年には、 新制作協会展では新作家賞を受賞しましたが、これら受賞作品は青が主題となっていました。 1969年には女流絵画協会展日航賞を受賞し、9月には新制作協会の会員となりました。 この年は女子美海外美術研修旅行に参加してヨーロッパやアメリカを訪れ、 ついに憧れのパリの地に立った年でもありました。 佐野さんご自身が「ダークブルーの系列」と呼ぶ1960年代の作品群は70年代に近づくにつれ色面が大きくなり、 画面には大きな躍動感が出てくるようになります。 こうした佐野さんの画風の変化にはエネルギッシュなアメリカの文化も少なからず影響を与えていたようです。 1966年から67年にかけて国立近代美術館で開かれた「現代アメリカ絵画展」は当時の佐野さんに深い感動を与えたといいます。 1970年代――対比する青い面積の構図 1960年代の終り頃から変化のあった佐野さんの作風は、 1970年代に引き継がれていきました。モダン・ジャズにも魅かれていた佐野さんにとっては、 恐らく、アドリブやインプロビゼイションは抽象絵画と結びつくものだったに違いありません。 リズミカルな響きは筆捌きに、演奏のかけ合いは色面構成の色の響き合いに対応し、 軽快ではあっても決して軽薄ではない音は視覚化され、都会的で洗練された画面を作り上げることもあったに違いありません。 こうした時代を佐野さんはご自身で「対比する青い面積の構図」と呼んでおられます。 1972年と73年には新鋭選抜展で優賞を受賞、女流絵画協会展ではH夫人賞を受賞し、 1960年代に引き続いてその作品は高い評価を受けています。 1976年には女子美の芸術学部助教授となりました。 1980年代――動く抽象地図 1970年代から1980年代にかけて、 佐野さんは独自の作風を確立させていきました。 制作はとどまることなく、新たな境地に向かっていきます。 ご自身で「動く抽象地図」と呼ばれる1980年代には、 色面の配置にとても力が込められるようになります。 1981年の朝日新聞に掲載された「逃げる構図」という作品について佐野さんは 「女を抽象で描いてみますと、コンポジションが逃げるのです」と書いています。 そうした動きを面白いと感じた佐野さんは「しかし、逃げられてはこまるので、 目にたつ強い赤系のローズバイオレットと、いくつかの色の線でしばりました。 それでも抽象の女は、いつしか画面のどこかにかくれ去り、 散り散りになったよそよそしい構図だけが、意図的に出来あがっていました」と絵筆を置いています。 私たちはここに、佐野さんの絵が力ずくで構成した区切られた平面の中にあるものではなく、 宇宙へ向かってゆるやかに広がっていくものとして見ることができます。 1986年には紺綬褒章を受賞され、翌87年には女子美の芸術学部教授となりました。 佐野さんの「今」 2001年、佐野さんは故郷青森県の「県文化賞」を受賞されました。 今回の受賞は今までずっと絵を描き続けてきた佐野さんにとっては、更に気合いが入り励みになったと同時に、 緊張を感じるものでもあり、賞というのはそのような価値、意味を持っているのだということを実感されたことでしょう。 受賞の折には女子美同窓会青森支部から祝電を頂いたり、 同級生や幼なじみが授賞式に駆けつけ共に喜んでくれたりというあたたかい交流もあり、 佐野さんは今も、ふるさととのつながりをもっています。 佐野さんはまた、東京では「東京を描く市民の会」の委員でもあります。 これはアマチュア・プロを問わず900人程の会員を擁する会で、 東京の原風景を残そうという活動をしているそうです。 この会では、2002年に会員がハガキ大の用紙に東京の風景を描き、 それを永く残すというタイムカプセルのプロジェクトと、 それに合わせた展覧会が開催されました。 エネルギッシュでとどまるところを知らない佐野さんの活動は これからも未来へ向かってどんどん進んでいるのです。 (ライブラリ第1回 佐野ぬい おわり) 参考文献 1995,佐野ぬい 青の構図 美術出版社 1997,婦人之友12月号 婦人之友社 2001,婦人之友10月号 婦人之友社 |
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佐野ぬい画集「青の構図」![]() 1995年 美術出版社 略歴 ―Profile of Nui Sano―
1932年(昭和7年) 1955年(昭和30年) 1957年(昭和32年) 1961年(昭和36年) 1965年(昭和40年) 1969年(昭和44年) 1972年(昭和47年) 1976年(昭和51年) 1984年(昭和59年) 1986年(昭和61年) 1987年(昭和62年) 1988年(昭和63年) 1989年(昭和64年) 1991年(平成3年) 1993年(平成5年) 1994年(平成6年) 1995年(平成7年) 1996年(平成8年) 2000年(平成12年) 2001年(平成13年)
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