○ 今回から平成27年度 第16回女子美パリ賞を受賞された、音羽晴佳さんにパリでの暮らしをご紹介していただきます。どうぞお楽しみください。
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4月の初旬にパリの地に降り立ち、あっという間に5ヶ月が経とうとしています。
私の住むレジデンスには300人以上のレジデントが住んでおり、短くて1ヶ月、長ければ2年間の滞在と、その長さは人それぞれです。
それゆえ毎日が出会いと別れの繰り返しです。 数多くいるレジデントの中には祖国が危険であるために帰国できないでいる人もいます。 あるイラク人の男性は、私が「みんな祖国に帰ってしまって、私はいつも見送ってばかり。」というと「僕は永遠にこのレジデンスに住んでるから、困ったことがあったら助けてあげる。」などと言って笑います。毎日陽気な彼らですが、彼らのふと見せる表情、言葉の端々やその作品から、彼らの胸の痛みを垣間見る瞬間があります。
今年の春は桜ではなく、ル・コルビュジエを満喫した春でした。
まず私がパリに到着してまもなく、ポンピドーセンターの企画展がジェフ・クーンズからル・コルビュジエへと展示入れ替えが行われました。 それをきっかけにパリ16区にあるラロッシュ・ジャンヌレ邸とコルビュジエ本人のアトリエ、パリ郊外ロワシーにあるサヴォワ邸を訪れ、5月にはフランス東部のフランシュ=コンテ地方にあるロンシャンの礼拝堂とアルケ・スナンの王立製塩所を訪ねました。
ロンシャンの礼拝堂はル・コルビュジエ後期の代表作といわれています。
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正式名称はノートルダム・デュ・オー礼拝堂。壮大であり、素朴。
実際に訪れるまではエリンギみたいなのでプレシャス・マッシュルームと呼んでいた。 |
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南向きの壁には大小様々な奥行きに作られた溝に、ステンドグラスではなくガラスが使用されている。
ガラスにはグリザイユの技法でコルビュジエのドローイングが施されていた。粒子の粗い壁が光を振動させ、そして調和する。 |
私はフランスに来て初めて、人々が一身に祈りを捧げる姿を目にしました。
過去を想い、未来を願い、祈っている。その姿の美しさには目を奪われます。 その祈りたちを静かに受け止め、内包する、この大きな容れものも、やはり訪れる人々の心を強く打つものがあります。
6月にはスイスのバーゼルで世界最大のアートフェアであるArt Baselがありました。3つのフロアに分かれており、世界中の200以上ものギャラリーが集結している様子はまさに圧巻でした。
また、次の日にはドイツのヴィトラ・デザインミュージアムにも足をのばしました。 ミュージアムがあるヴィトラ・キャンパスはヴィトラ社の工場を内包していて、そこには重要な建築物が数多く存在します。
キャンパス内の建築をめぐるツアーに参加すると、一般には公開していないプライベートエリアを見ることができます。
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安藤忠雄が海外で初めて手がけた建築、カンファレンスルーム。
天井からのびたライトはイサム・ノグチのAKARI。ガイドと共に内部を見学できる。 |
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バックミンスターフラーのドーム。
他にもフランク・ゲーリー、ザハ・ハディッドなど世界の有名な建築家の作品が集結している。 |
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SNAAが手がけた工場。
巨大なカーテンのような外壁はクリストの作品を想起させる。 |
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ミュージアム内部はまるでショールームのよう。
たくさんの椅子のコレクションに実際に座ることができる。 |
そして、8月にはこの滞在の前半の区切りとして、オープンスタジオを行いました。
思っていた以上にたくさんの方に来て頂けて、こちらの人々のアートへの関心の高さを感じました。 |
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天蚕糸や小さなビーズを用い、他者との境界線をテーマにしたインスタレーションを制作した。この作品で使用した透明な糸が目に見えづらいように、私たちの関係性やその境界線は目に見えず、何度も引き直すドローイングの線のように、複雑に絡み合い、頼りなく途切れ、虚ろいながら変化し続ける。
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新しいアイディアを試してみたり、今までの自分では選ばなかった素材を使ってみたりと、日本にいた頃よりものびのびと制作できていると感じます。このような時間を与えてくれた女子美に感謝しつつ、残りの7ヶ月も大切に過ごしたいと思います。
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音羽 晴佳 (おとわ はるか)
1989 年生まれ。
2011年 女子美術大学芸術学科洋画専攻卒業。
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