音羽晴佳さんのパリ通信 Vol.32016.04.21
こんにちは、今回が私のパリ通信の最終回になります。
この1年間の総括を含めて綴っていこうと思いますので、長いですがお付き合いいただければ幸いです。
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一ヶ月の間にベルリン行きの航空券を3枚買いました。
というのも、友人とベルリン旅行を計画するも、まず私が日にちを間違えて予約し(キャンセルできない
格安チケット)、正しい日にちで買った航空券は(早朝の駅でネズミを発見して動けなくなってしまった
友人により)乗り遅れてしまったのです。
泣く泣く買った高価な当日航空券で、やっとベルリンの地を踏むことを許されたのでした…
Hamburger Bahnhof Museum、ハンブルグ駅現代美術館の名の通りかつてはベルリンとハンブルグを繋ぐ駅舎であった建物が、今では広大な敷地を生かした現代美術館になっています。
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アンディ・ウォーホール、サイ・トゥオンブリー、ヨーゼフ・ボイスの豊富なコレクションを見ることができます。
すべての部屋を使って企画展も常時3つほど開催しているので、とにかく巨大でした。
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2度目の滞在ではハンブルグにも足を伸ばしました。重たい鉛色の空に霧がかった景色は
いかにもヨーロッパの冬という感じ。
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1-2月 2度目のオープンスタジオとパリアタックの後
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2月の後半には2度目のオープンスタジオをしました。
小さなインスタレーションとシテデザールの中にある工房で刷ったシルクスクリーンの作品を展示しました。
このオープンスタジオに来てくださったギャラリストの方から、まだ確定ではないけれど、来年パリでの個展の
お誘いをいただく嬉しい出来事もありました。
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展示した作品の一つに、パリアタックの直後に友人アーティスト2人によって行われたパフォーマンスの写真を
使用したものがあります。
発案者はシリア出身のミュージシャンで、この時彼は1人でハンガーストライキをしていました。
内容としては、彼の髪をもう1人のアーティストが切っていくという、とてもシンプルで、
静かなパフォーマンスでした。
パフォーマンスをした当時、シリア人の彼は何も語りませんでした。言葉にならなかったのかもしれません。
写真の上にはトライアングルのパターンをカーテンのように重ねました。
このパターンは祖母のしていた手慰みに由来したもので、私は繰り返しそのパターンを作品に
使用してきました。
その手慰みとは、チラシの裏などにマス目を引いて、そのマスを様々な色で三角に塗りつぶしていく、
というものです。
私はそのドローイングを彼女の独り暮らしの家で、何百枚もの膨大な枚数を発見しました。
それは寡黙な彼女の、塗りつぶされたトライアングルの裏側に隠された、言葉にならない言葉であるように
思えてならなかったのです。
作家が何かを隠すような展示方法をとった時、鑑賞者はいつもより長くその作品の前に立ち止まります。
このトライアングルの後ろに隠れているものを見ようとする時、私たちは何を見出すのでしょうか。
作品の前だけでなくこれと同じ姿勢を持つことが、今、特にここパリでは、私たちに必要なことのように
感じられます。
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オープンスタジオを終えた後はオランダへ大学を訪問しに行ってきました。
パリからオランダの主要都市までは、タリスという高速列車で3時間弱で到着します。
私はロッテルダム-ユトレヒト-アムステルダムと3都市に滞在しました。
アムステルダム、ユトレヒトでは学校見学以外の観光をする時間がほとんど取れず、
ロッテルダムの写真しかご紹介できません…ですが、小さくて可愛くて街、温かい街の人たち、
オランダ第2の都市であるロッテルダムに一瞬で恋に落ちてしまいました。
宿泊したホステルの並びにはおしゃれなレストランやバーが軒を連ねています。
その中に、なんだか素敵なギャラリーのようなものを見つけました。
(後から知ったのですが、ここは有名なアートセンター Witte de With Contemporary Art だったのでした)
受付のお姉さんに聞いてみると、今夜はちょうどサウンドアートのイベントがあるとのことでしたので、
夜に再度伺いました。
中には大掛かりなCharlemagne Palestineによるインスタレーションが展示されていました。
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その夜のイベントはサウンドアーティストのコンサートが2つ、グラフィックデザイナーによる
アーティスティックリサーチのプレゼンテーションが1つというプログラムでした。
John Cage、Steve Reich、John Zornなどを取り上げながら、グラフィックデザインと20世紀の前衛音楽の理論を系統立てていくプレゼンテーションはとても面白く感じました。
次の日にはMuseum Boijmans Van Beuningen ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館に行きました。
オランダ、ベルギーのフランドル地方の画家を中心としたコレクションを中心にダリやマグリットといったシュールリアリズムの作家の作品なんかもあって幅広かったです。
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戦前のオランダ女流画家、Charley Tooropの絵。この美術館のコレクションに女性画家の作品が収蔵されたのは彼女が最初でした。
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企画展の1つとしてロッテルダムの若手作家を紹介する展示がありました。
WdWといい、この美術館といい、ロッテルダムにはロッテルダムに住む作家を
応援する企画がたくさんあるようです。
ここからは少し照れくさいのですが、総括として、とても個人的な心のお話をします。
この1年間が私に与えた影響はとても大きなものでした。
パリへ来て右も左もわからないまま試行錯誤しながら生活していくうちに、
私はちっとも完璧ではないけれど、既に十分なのである。ということに、はたと気がつきました。
それと同時に制作することも生活することも、歌うように自由に、軽やかに、楽しめるようになりました。
些細な自分の問題点に拘り続けることが私の作品の可能性を狭め、思考する遊びの面白さを
半減させていたのです。
自由に発想し、軽やかにその可能性を試すことができる。それをさらに深めてみる、広げてみる、
掛け合わせてみる、違う方向から眺めてみる。
今はそんな作業が、楽しくて、楽しくて仕方ありません。
私が滞在していた部屋の退去手続きを済ませた日の夜、私と同時期にパリに到着し、まもなく帰国する
レジデントの方々と晩ご飯を食べました。
1年間ともに過ごした仲間の顔をみながら、パリに到着した日のことを思い出していました。
それは昨日のことのようであり、遠いとおい過去の記憶のようでもありました。
部屋に帰ってひとりになると、涙がポロポロと止めどなく溢れてきました。
寂しさや感謝、未来への不安と期待が入り混じった、切なくて、それでいて温かくて心地の良い、
私が女子美を卒業した時に流した涙と同じ種類の涙でした。
人生の節目で私たちが涙を流すのは、大きく成長した私たちが過去の自分自身を改めて眺め、
私たちの存在は決してとどまる事のできない儚いものであるという事実を受け止め、
同時にここまで来れた過程に感謝の念と未来への希望を見出すからだと思います。
今、わたしの前には道が見えています。険しくて、いかにも辛いことがたくさんありそうです。
でも、もう目的地は見えている一筋の、思いっきりワクワクすることがたくさん詰まった道です。
アーティストとして、生きるという道です。
弱気になって諦めかけていた私に、私の人生において間違いなくかけがえのない1年間を与えて下さった、
女子美術大学理事長大村智様はじめ選考委員会先生方、関係者の皆さまへ、
心より感謝し御礼申し上げます。
この感謝の気持ちは、とても言葉で言い尽くすことができませんが、今後も精一杯努力させていただきますので、
私がどんなアーティストになっていくのか見守っていて頂けたら幸いです。
本当にありがとうございました。
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音羽 晴佳 (おとわ はるか)
1989 年生まれ。
2011年 女子美術大学芸術学科洋画専攻卒業。
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