同窓会の活動

東日本大震災対策委員会より一覧を見る

被災地からの声  2011年7月12日〜15日2011.10.17

同窓会では、東日本大震災の被災地の方々に安否確認をいたしましたところ、
皆さまよりお便りが届きましたので、お知らせいたします。

掲載が遅れましたこと、まことに申し訳ございませんでした。
震災より半年が過ぎました。7月に届いたお便りから、これから少しづつではありますが、お伝えしてゆきます。

被災地の復興が一日も早く実現することを願い、
私たち同窓会も少しでもお力になれるよう努める所存です。


2011年7月15日

◯ お心遣いありがとうございます。私は幸いな事に、当日は家族全員が車で移動中の被災だったので、全員ケガもなく自宅にすぐに帰る事ができました。自宅も壁のクロスにヒビが入る程度で済みましたので、もし今後何か送る御予定があるのであれば、遠慮させて頂きます。大学・大学院時の友人達に「震災で子供のミルクが手に入らないので助けてほしい」とメールを送ったのですが、皆その当日にミルクを即便で送ってくれました。たくさんのミルクが届いた時は、とってもうれしかったです。この時の事は一生忘れないと思います。

Y.F 1996年大学院美術研究科卒/茨城県水戸市
◯ 御心配いただきありがとうございます。幸い、家は高台なので流されませんでしたが、夫の会社と車一台流されました。時間的に家族は外出中でしたが(外出中の家族は地震前後、津波浸水区域にいました)無事でした。夫は歩いて(4時間)家に帰宅し、下校中の娘は友だちと避難先の高台からその友だちの家が津波で流されるのを泣きながら見ていたそうです。その後が地獄です。大勢の人たちが流され、亡くなりました。未だに800名以上の方が行方不明です。

Y.S 1979年(短)生活デザイン教室卒/岩手県上閉伊郡大槌町
◯ お世話様です。外壁に亀裂が入り勝手口が開かない、玄関ドアが閉まらない、サッシに鍵がかからない等不都合はありますが自宅で生活出来る事に感謝しています。食器はすべて割れ生活する事に対しても物の考え方も変わりシンプルな生活をする事がこれから必要な事だと思っている此の頃です。

T.S 1973年(短)生活デザイン教室卒/福島県旭町
◯ 此の度はお見舞いのお葉書頂戴致しましてありがとうございました。3月11日震災発生より4ヶ月経過致しました。当大槌町はほぼ壊滅状態で街の復興も未だめどがたって居りません。当方は大規模半壊状態で家の修理完了するまで避難所生活を続ける状態であと1ヶ月位かかりそうです。元気に頑張って居ります。ご配慮誠に感謝申し上げます。

E.S 1963年(短)服飾美術科卒/岩手県上閉伊群大槌町
◯ 全国からの暖かいご支援、有難く思って居ります。地震・津波・原発・風評と四重苦に福島の人達は日々元の生活に戻るべく頑張って居ります。

M.S 1956年(短)服飾科卒/福島県いわき市


2011年7月14日

 
◯ お忙しい中、お心遣いありがとうございます。まだ余震が続いているので安心はできませんが、家族は無事です。同窓会の皆様から送られて来る会報だけでも有難いです。同窓会の皆様の温かいこころ遣いにふれ作品作りを心の支えにがんばるつもりです。本当にお心遣いありがとうございました。

R.S 1985年(短)生活デザイン教室卒/宮城県多賀城市
◯ 福島市内は余震6弱の地震でしたが、ここは津波の影響はありませんでしたので、自宅も少々ひびが入った所があった位でさほどの被害はなく、過ごしております。今の一番の問題は原発の終息の事で孫達は県外に避難しております。色々と御苦労様です。

A.K 1969年(短)造形科図案教室卒/福島県福島市
◯ 毎日原発の被害と対崎し出来ることを一つづつつみ重ねることで未来へつなげたいと思っています。来年には特別養護老人施設を増設する予定です。

K.U 1969年(芸)美術学科日本画卒/福島県福島市
◯ 福島県の中通り地区に住んでおりました事でこのような状況の中、幸いなことに我家は無事でした。ライフラインも思ったより早く回復しました。この3ヶ月あまりの時は、やはり、放射能の値が一番心配なことではありました。原発のあります浜通りから、避難されている方達の事を思うと、言葉がありません。一時でも早い原発の収束を願うばかりです。

Y.O 1972年(芸)芸術学科卒/福島県群山市
◯ 三郷市のみさと団地で9月まで避難する予定です。身のまわりはすっかり揃って生活してますが、日常が狂いました。毎日、する事もなく、フワフワとしています。早く故郷へ帰りたいです。同級生の橋富啓子さんや関口百合子さんに心配をかけました。連絡いただきありがとうございました。

Y.S 1969年(短)別科服飾専修/福島県双葉郡浪江町
◯ ご配慮のお知らせありがとうございました。来週、無事にアパートに入届する事ができそうです。家族が無事だった事は幸いですが女子美時代の作品や、入試に備えて積み上げたデッサンなど全て失った事は残念に思います。仙台の2002年卒業の大場聡子さんは無事です。今後のお知らせも楽しみにしています。

C.H 2001年(短)情報デザイン卒/宮城県仙台市
◯ 塩釜で店を始めて20年になります。自宅は穏やかな登り坂の頂上にありますので200m下で津波は止まりました。ただ塩釜港近くのイオンショッピングセンター1階の店が津波で水没してしまいました。当初は何かと大変でしたが家があるだけで良しと思って暮らしています。

A.I 1978年(短)服飾科卒/宮城県塩竈市
◯ おみまいのお便りありがとうございます。お陰様で、茨城でも福島との県境に近い所で海近くでは津波と液状化の被害がひどかったのですが、内陸の方だったので特に目立った被害はありませんでした。その後、余震(1ヶ月後)で温水器の配管など破損しましたが、家族共変わりなく過ごしております。会員の皆様にくれぐれもよろしくお伝えください。

K.B 1974年(短)専攻科服飾修/茨城県北茨城市
◯ 今回の地震では、家の屋根瓦や壁など多少の被害はありましたが、家族皆、無事で暮らしております。現在も、版画制作を続けております。

T.K 1980年(短)専攻科絵画修/茨城県水戸市
◯ お手紙ありがとうございます。私の家は気仙沼市の漁港で有名な所ですので大津波に一階全部がやられてしまいました。いろいろな所から物が流れ込み泥と店の品物とがいっしょになり全部だめになってしまいました。家族3人は助かりました。

M.T 1956年(短)服飾科卒/宮城県気仙沼市


2011年7月13日
 
◯ 御心配いただきありがとうございます。3月11日の震災で津波により自宅兼店舗の1階の天井をこえ2階にまでおよび全壊認定となりました。幸い家族で裏山に逃げ、全員無事でした。今は3階に住んでいて、店舗の方は改善工事がやっと始まった所です。これから町の復興には時間がかかりそうですが、頑張っていきたいと思っています。

M.S 1979年(短)服飾科卒/宮城県気仙沼市
◯ 我家は高台に在り無事。But 親戚や友人が流されて亡くなりました。今回は、同窓生だった島根の友人から支援物資を送られて知人に渡すことが出来ました。東京の友人、名古屋の友人、みな女子美の友人からでホントに助かりました。女子美の心意気には感謝です…。

M.O 1973年(短)造形科絵画卒/宮城県気仙沼市
◯ 復興の遅れや原発問題など生活が不便・不安な毎日ではありますが家族共々、健やかに暮らしております。仕事の合間にボランティア活動を行っております。茨城県立近代美術館も被害は甚大でありましたが、年度予定を変更しながら企画・常設展を行っております。文化施設等の復旧工事は後回しにされております。

K.S 1986年(芸)絵画科卒/茨城県水戸市
◯ 被災地・仙台に住んでいますが、震災後約1ヶ月間、ガスがストップしただけで申し訳ないほど、軽い被災で済みました。私自身はもとより、親族にも被害らしいものはなく、無事に居ります。ひどく被災された方々の早い復興と、健康を願います。ご心配いただきまして、ありがとうございます。

W.S 1967年(短)服飾科卒/宮城県仙台市
◯ 自宅も仕事先も大きな被害もなくおかげ様で家族も元気です。宮城支部の皆様も元気だそうです。しかし、震災で皆、心に傷を負っている様です。同窓会でのご声援に感謝致します。

M.T 1993年(短)造形科絵画卒/宮城県仙台市

◯ おたよりありがとうございました。とてもうれしくいただきました。
当方、福島原発より30km圏内に居住、あの時を境にすっかり変わってしまいました。こどもの姿がなくなり、夫の仕事(小児科医院)閉ざさざるの得なくなりました。ハメルンの笛吹き男が、ある日、平和な町のこどもをつれ去って消えていった、あの物語を思います。福島県民はみすてられた思いになり悲しいです。

M.H 1963年(芸)日本画科卒/福島県南相馬市

◯ 人は無事でしたが、明治元年竣工の自宅が壊滅状態です。家財道具も全て失い、代々続く家業の会社も営業再開の見込みは立っていない状況です。

S.D 1996年(芸)絵画科卒/宮城県宮城郡松島町 

 

◯ 震災から早や4ヶ月です。3.11からの2.3ヶ月は余りにもなさねばならない(近隣の方のサポート、自家の水の調達、等々)事が多く、夢中でハイテンションで動き回りました。今だんだんと疲れが出て来たようで、暑さも加わり、体調が思わしくないです。子供さんをお持ちのご家族は県外に避難など、大変です。何とか希望を失わず前を向いていたいです。

N.T 1969年(芸)美術学科卒/福島県福島市 

 

◯ 被害の大きかった石巻・渡波地区ですが、我家は床下浸水で家も流されず家族全員無事でした。先がまったく見えない状況下、生活に困らない最低限の片付けをし暮らしております。復旧、復興に向けて、今自分にできることから少しずつ動き始めようと心掛けておりますが、落ち込むことも多い今日この頃です。友人、知人からの励ましが何より嬉しかったです。多くの人々にささえられていること実感しました。

S.F 1971年(短)服飾科卒/宮城県石巻市 

◯ おかげ様で震災前の生活にもどりつつあります。自宅アトリエ(小中学生)教室に福島県から避難してきた子が入会し皆で元気に絵を描いています。
水戸市在住の関口広子(旧:遠山広子)さんも元気にしています。芸術は子供たちの心に絶対に必要!!と痛感しています。

M.T 1980年(芸)芸術学科卒/茨城県那珂郡東海村

 


2011年7月12日

 

避難先の仙台から、家中に置いてある観葉植物が心配で、自宅に戻って二ヶ月が過ぎました。今は原発と東電と政府と勝手に言っている人々に対する怒りに満ちた生活を送っています。そんなに原発が安全なら、東京のド真中につくってほしい!!人生狂わされました。

N.O 1966年(芸)洋画科卒/福島県南相馬市

◯ 暖かなおハガキ嬉しく拝見致しました。 自宅は一部損で大じょうぶでしたが仕事場が大規模半壊で来月解体の運びとなりました。(主人の歯科医院です。)いろいろ悩みましたが、頑張って再建することと決め、又、一からやり直しです。命があっただけ幸せと感じております。絵いっぱい飾った小さな歯科医院にする予定です。

Y.A 1974年(芸)造形学卒/宮城県仙台市

御心配下さいましてありがとうございます。八戸も被災致しましたが、海岸近くが主で我家は内陸ですので津波の被害もございませんでした。同期の友人にも心配して戴き只々感謝です。私は大丈夫ですので被害の大きかった方々にどうぞお見舞い下さいませ。

M.K 1976年(芸)産業デザイン卒/青森県八戸市

◯ 自宅は高台に有り、津波、地震共に無事でしたがライフラインが2週間程止まりました。海岸及び港は被害が大きく復旧に時間がかかりましたが今はとりあえず動き始めています。市内の公共ゴミ収集所は被害ゴミの山が今もうず高く積まれたままです。常磐線は5月末全線開通しました。

K.S 1961年(短)服飾美術科卒/茨城県日立市 

 ◯ 震災時の家の中の片づけはほぼ終わりましたが、ブロック塀などは、まだ、倒れたままになって居ります。周囲の屋根にも、青いビニールが残り、なかなかとれない状況です。御心配頂きまして、有難うございます。

Y.I 1960年(短)図案科卒/茨城県水戸市

◯ お見舞いのはがきをありがとうございます。水戸も被災地となり、一時は停電、断水もあり、住んでいるマンションの部屋は本や食器がなだれの様に床に散乱しました。実家の片付けもあり、2ヶ月近くは仕事(染色)を再開できずにおりました。現在は余震も多少おちついてきましたので仕事を忙しくしております。こんな時代に仕事の依頼をいただけることに感謝の日々です。ありがとうございます。

M.A 1974年(芸)産業デザイン卒/茨城県水戸市 


他にもたくさんの方々より、お便りをいただいております。
近況のお便りもお待ちしております。

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