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中村菜都子さんのパリ通信 vol.4 – パリの向こうへ2018.05.18

 

 成田空港から都内へ向かう列車の車窓から、ところどころ町をピンク色に染める桜並木が見える。うららかな春の日にフランスから日本へ帰国した。久しぶりの東京は、陽だまりに包まれ、静かで穏やかでとても柔らかに感じた。山手線のホームに立っていてもその印象は変らない。散りひとつない構内、整然と秩序立てて並べられた広告。外国で暮らすと自国の否定的な面が浮き彫りにされることがよくあるが、久しぶりに会う東京は私が想像していたものとは違い、古き良き日本の風情をたたえていた。この国は美しい四季とめぐまれた風土により、のどやかなる空気に包まれた国なのだと、それを忘れてはいけないと感じながら窓の外の移り行く景色を眺めていた。満開の桜に助けられ、パリへのノスタルジアに胸が詰まる想いをせずに今日まで過ごしている。もうしばらくしたら思い出にふける日々がくるのかもしれない。

 

 靴下のかかとがすり切れるまで歩いたパリ。なんども同じ道を繰り返し歩くことで、少しずつパリが私のものになっていくように感じた。国際芸術都市、シテ・デ・ザールの裏手にある大きな木製の緑のドアを出て、左に少し歩くと、セーヌ川に架かるルイ・フィリップ橋とプラタナスの並木、右岸にはネオ・ルネッサンス様式の豪奢なパリ市庁舎がどっしりと居を構え、左岸には真っ直ぐに空へ伸びた黒い尖塔と立派な二つの鐘楼を持つ我らが貴婦人、ノートルダム大聖堂の優美な後ろ姿がみえる。この美しい眺望が目と鼻の先にあるとはなんと贅沢なことかと、ここを通るたびに足を止めため息をもらす。5月の新緑の頃から夏にかけてのパリが一番美しいと思い込み、憂鬱な冬がこなければよいのにと、夏の間想いつづけていたけれど、暖かな冬の光は乳白色の建物のディテールを象牙細工のように浮かび上がらせ、それはそれでとても美しいものだと知った。セーヌ川と雨が奏でる雨音と水面に浮かぶ雨雫、ルイ・フィリップ橋から眺める夜の街並み。昼と夜の顔、雨と晴れの顔、四季それぞれの顔、この美しい川のあるパリの多彩な表情がどれだけ人々を楽しませてくれていることか。とりわけ2017年のパリの気候は例年になくめずらしいものだった。夏の日差しは容赦なく私たちの肌を焼き、1滴の雨も降らないのかとまるでギザのピラミッドを仰ぎ見る様に空を恨めしくおもい、冬は信じられないほどに暖かく毛糸の帽子も手袋もほとんど使うことなく終った。1月、セーヌ川の増水によりこれまで見たこともないシュールな風景に息をのみ、2月、1987年以来の大雪に心躍り、モンマルトルの高台まで白く染まったパリを一望しに訪れた。いつもと違うパリが私のパリになった。

 

 滞在中一番多く訪れたのは教会だ。パリ市内に150はあるといわれる教会のうち、30以上の教会を見てまわった。以前このパリ通信で紹介した、サン・ジェルベ=サン・プロテ教会がパリで私が最も多く訪れた教会だ。毎日この教会の鐘を聞き、心を落ち着かせたいとき、困ったことが起きたとき、良いことが起きたとき、聖母マリアチャペルで黙想する時間が心の支えとなった。はじめて聖体拝領に参加し、信者と握手を交わしたのも、修道士や修道女の美しい歌声を聴いたのも、オルガンの調べを聴いたのも、すべてこの教会だった。宗教を越えてキリスト教文化から、西洋的な知的・文化的・精神的な豊かさとより良く生きるということを、自らの体感により学ぶことができた。印象に残る教会はやはり私の生活圏内にあり何度も訪れた教会たちだ。サン・ジェルベ=サン・プロテ教会と同じ4区にあるバロック様式が豪華絢爛なサン・ポール=サン・ルイ教会、司教座聖堂のノートルダム大聖堂。1区にあるステンドグラスが美しい王室チャペル、サン・シャペル、5区にある2本の螺旋階段が優美なサン・エチエンヌ・デュモン教会。パリの教会の話しを始めたらきりがなくなるほどだ。また、パリから列車で1時間ほど離れたシャルトルへも教会を巡る旅をした。線路の整備をしていたため、途中バスに乗り換え5時間をかけ到着したシャルトルで、幹線道路沿いのモーテルに思いがけず宿泊することとなった。そのおかげで1日半、パリとは異なる長閑な町をゆっくりと散策することができたのは結果としてはよかったのかもしれない。ファサードに施された彫刻、二つの異なる建築様式を持つ尖塔、シャルトルブルーのステンドグラス、これらを擁するノートルダム大聖堂の素晴らしさはいうままでもなく、置き去りにされたような佇まいのサン・ピエール教会、中世ロマネスクの外観、美しい緑色の室内装飾をもつサン・エニャン教会はパリでは出会うことのない、ほぼ未修復の教会のかつての姿を観ることができた。フランスは他のヨーロッパの国々に等しく、古き良き伝統や文化遺産を保とうと日々努力している。教会建築も例にもれず、寄付金を募り修復をしている姿を町のあちらこちらで見かける。国際芸術都市のフランス語教師がその修復方法を嘆き、こんなことを言っていたのを思い出した。「最近の修復をみているとまるで整形手術ね、どこもかしこもボトックスだらけ」。教会の持つ本来の美しさや歴史の足跡を残さず、ただ表面だけを綺麗に整えてしまうことに彼女は異を唱えていた。彼女は世の中で起きている悲しい出来事に目をそらさず、文化芸術を愛し、繊細な心で本質を見抜き、言葉にする力のある人だとあらためて感嘆した。私はこれからも、旅行く先々にある教会を巡り続けるだろう。神に捧げられた至高の芸術を通し、ヨーロッパを読み解く手がかりを掴むことができたらと願いながら。そしていつの日か巡礼路を歩くという小さな夢を叶えられるように。

 

 この1年、静かに過ごす、考える、感じる、内に向かう時間を意識しながらパリ生活を過ごしてきた。振り返ってみると1年の間にもっと多くの出会いを求め、たくさんのことを成し遂げることができたのではと不安に思うこともあった。けれどもやはり私には、立ち止まり私自身と対話する時間が必要だったのだと思う。しっかりと食べて、歩く。限られた人々と過ごす。気になりつつ後回しにしていたことを調べる。聖書や古典文学を読む。美しい音楽を聴く。モノクロームの映画を観る。教会、墓地、公園など日本に輸出することのできない文化史跡を訪れる。毎日数時間だけ手を動かす。これらが私の生活の中心となり12ヶ月間繰り返されてきた。このような生活を送る中で、いずれはパリでの生活を集約するような作品を1点制作したいと考えていた。頭の中にあるイメージは消えることなくとどまり、やはりそれを形にすることにした。ポルトガルを訪れたことによりイメージはさらに深まった。日本では限られた空間と時間により小品を多く制作してきたが、恵まれた環境をいかし大作を制作したいという思いがあった。キリスト教徒にとって船は教会を表し、教会はこの世の嵐を乗り越え誘惑という暗礁を避けて信者達を無事に救いという港へ運ぶ船であるという言葉から、嵐の大海原をすすむ、天正遣欧少年使節を乗せた南蛮船キャラックを描いた。この作品を発表するに辺り、帰国直前の3月20日にオープンスタジオを開くことにした。ついおしゃべりばかりになりがちなオープニングパーティーやオープンスタジオだが、他にオープンスタジオが開催されない日をあえて選んだこと、さほど宣伝をしなかったことにより、私自身や私の作品に心から興味をもって下さる方だけが集まる落ち着いた雰囲気の空間となった。照明を落とし、作品上に施した金色の刺繍や箔が鑑賞する角度により光を輝かせる様工夫した。この日だけはスタジオを小さなチャペルの様にしたかった。「これまで見たオープンスタジオの中で一番だと思う」という声をかけてくれたドイツ人作曲家。「あなたの作品はモダンアートでもなくコンテンポラリーアートでもなくトュルーアート(真の芸術)だと思う」と伝えてくれたロシア人アーティスト。このふたりの言葉が体中に染み渡たった瞬間、私のパリが小さくうなずき少しずつ遠ざかっていくのを感じた。

 

 日本に戻り1ヶ月が過ぎた。日本での生活を少しずつはじめてはいるが、両足をしっかりと入れることに躊躇している。フランスでの1年は、イギリスから帰国して10年目の最後の節目の年となり、これからの10年を迎えるにあたり、今後どのように生きたいかを考える貴重な時間を与えてくれた。いまだにどこへ向かっているのかはわからないけれど、着実にパリからさらにその向こうへ、大きな船に守られながら近道を使わない自分らしい旅を続けていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 最後に、パリ通信に書き尽くすことのできない、幾つもの素晴らしい出会いを与えて下さった、大村智名誉理事長と女子美術大学の皆様に心からお礼を申し上げます。女子美術大学同窓会には、パリ通信を書く機会を頂いたことで、パリでの生活を客観的に振り返ることができました。その他、渡仏前、渡仏中にお世話になった全ての方々に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。2018年5月29日から6月3日まで神宮前にあるタンバリンギャラリーにて個展を開催する運びとなりました。パリで制作した作品を是非ご高覧いただけたらと思います。宜しくお願いいたします。

 

 

天正遣欧少年使節をのせた南蛮船 キャラベラ

 

 

祈りの島 長崎五島列島

 

 

ビジュアルダイアリー

 

 

オープンスタジオの様子

 

 

セーヌ川のある非現実的な風景

 

 

モンマルトルから眺めるパリの雪景色

 

 

過去の記憶を残すサン・ピエール教会

 

 

緑の装飾が美しいサン・エニャン教会

 

 

 

 

 

 

中村菜都子

 

1974年生まれ

1995年女子美術短期大学造形科生活デザイン専攻 卒業

2005年ロンドン芸術大学ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション 卒業

100周年記念大村文子基金 平成29年度 第18回「女子美パリ賞」受賞

祖母の故郷、長崎を訪れたことをきっかけに、長崎の潜伏クリスチャンの文化に興味を持つようになる。彼らの数奇な運命を辿りながら、自分自身のルーツを探る旅をしている。

作家、辻仁成氏が編集長を務める「人生をデザインする」webマガジンdesign storiesにも寄稿させて頂いています。

Official website https://www.natsukonakamura.com/

 

 


本文にてご紹介いただいた中村菜都子さんの個展については下記ページをご覧ください

中村菜都子 個展『Contemplativa-観想する生活』 展覧会情報

 

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