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井上麻由美さんのパリ通信2019.12.12

 

パリ滞在記

井上麻由美

 

この滞在記の中では、私がパリで学ばせてもらったことの中でも、特に印象的な経験を報告したいと思います。

 

■セルビアを訪ねてー「出会った」ということー

私は女子美の学生時代に「糸が結ぶセルビアと日本」というサークル活動に力をいれていました。旧ユーゴスラビア地域に住む女性たちの間では、編み物や刺繍といった手仕事が伝統的に盛んです。このサークルでは、セルビアに住む、コソボ難民のおばあさんたちの作品を日本で紹介・販売することや、おばあさんたちと女子美の学生で一緒に制作した作品を発表していました。

 

 

※おばあさんと作品

 

※おばあさんの作品販売の様子

 

私は、2010年の当時大学2年生だった時に、セルビアのおばあさんたちに会いに行きました。それから8年たった昨年の5月に、このパリ滞在をきっかけにして再びセルビアを訪れることが出来ました。8年ぶりに会ったおばあさんたちは、以前よりも痩せて、年をとった印象がありました。

紛争が終わってからおよそ20年の月日が流れても、おばあさんたちは難民のままでした。そして、この8年の間に亡くなったおばあさんもいました。

私は、自分に問いかけていました。「なぜ“セルビアのおばあさん”に会いに行くのか」と。紛争や難民といった解決の難しい問題は世界中にたくさんあり、日本にも困っている人は沢山います。ではなぜ“セルビアのおばあさん”なのか?

今もはっきりとした答えは無いのですが「出会った」ということが大きな理由になっている気がします。私たちの限られた時間の中では、世界中の人々に会うことはできません。ただ、その人生の中で、少しでも関係性が生まれたのであれば、そこで出会った人と信頼関係を築くことや、楽しみを共有することが、自分自身にとってもかけがえのない時間になるのではないかと思いました。

 

 

※去年5月に再会したおばあさんたち
 セルビアのブルニャチカ・バニャにて

 

※いつも陽気なラトカさん

 

■伝統に守られている

難民のおばあさんたちが幼い頃からやってきた刺繍や編み物、織物はとても美しいです。今回の訪問を通して、とても大切な言葉に出会いました。

「伝統を守っていくのではなく、私たちは伝統に守られている」という言葉です。目に見えるものを失ったとしても、自分の中にあるものは決して奪われないこと。それが、おばあさんたちにとっては、伝統的な手仕事である刺繍や編み物であること。伝統は何も無いところでも“私”を支えるものであることを学びました。同時に、日本人である私の中にある“伝統”とは何かを考えるきっかけになったと感じています。

 

 

※コソボの唄を唄うおばあさんたち

 

■絹織物の町 フランス・リヨンを訪ねて

フランス第2の都市リヨンは、中世より絹と織物の伝統が息づく町として知られる、ヨーロッパでも有数の商業都市です。

 

※リヨンの町と虹

 

町の至る所に、建物内の通路“トラブール”という抜け道が残っています。これは、かつて織物工業が盛んだった頃、商品を雨で濡らさないように、また織物のデザインが盗まれないよう人目を避ける目的があったといいます。その入り口は一見普通の家の玄関のようです。しかし、一旦中に入ると、静かな細い抜け道が続き、まるで迷路のように曲がりくねった道がどこに繋がっているのか分かりません。

かつて数々の美しい織物が通った道を自分が歩くというのは不思議な気分で、歩いている間に自分も過去に近づいているような感覚になりました。

 

 

※トラブール入り口

 

※狭くて迷路のような道が続くトラブール

 

私はフランスの歴史的記念物として登録されている、織りの工房“Atelier familial de tissage à btas”を訪ねました。この工房は1878年〜1996年まで、実際に織物が生産されていました。現在、生産は行なっていませんが、歴史を伝えていく重要な場所として一般公開されています。

工房にはたくさんのジャガード織り機が置いてあり、実際に手で織っている様子をみることもできます。多くの作品を生み出してきたであろう織り機たちには、重厚感があり、職人たちが持っていた誇りをそのまま受け継いでいるような印象でした。そして、織られた布の美しさもさることながら、織り機に通してある約9000本の縦糸が上下する様子は、それだけで芸術的な美しさでした。

 

工房の管理者であるジャン・ポールさんによると、かつてリヨンに約1万軒あった工房の中で、今も実際に手織りの織物を生産しているのは、わずか2軒。その2軒の工房がどこに織物を卸しているのか尋ねると、フランスの「ベルサイユ宮殿」だと言います。

正直に言うと、私はベルサイユ宮殿の豪華さがとても苦手でした。しかし、ベルサイユ宮殿での修復は、単に見た目だけではなく、当時と同じ技法を用いた手織りの布を使用していることを知り、宮殿の見方が変わりました。美しさを維持するだけでなく、その奥にある文化・伝統そのものが途絶えないようにする役目があったことに感激しました。時代が進むと共にますます伝統を保持するのが難しくなるなか、観光地を通して伝統を守り、人々に伝えていくという姿勢に、フランスの“継承”に対する熱意を感じました。

 

 

※ジャン・ポールさんによつ織り機操作の様子

 

 

 

※職人が1ヶ月かけて通すという縦糸

 

■名前を織る

フランスに滞在を始めてから興味を持った織の技法を用いて、11月に舞台の衣装を制作しました。

※パリ・Cité internationale des arts で行った舞台「Passé ‒ Lumière ‒ Futur」の衣装

 

“名前”について考えた作品です。私たちは曖昧であることが当たり前の世界の中で、区別をするために名前をつけてしまいました。この作品の素材は紙で、私が覚えてきた名前を書いた紙を織って制作しました。重ね着した衣装を脱ぎ捨てていくことは、名前からの解放のようで、現実には手に入りそうもない“自分の名前さえも無い自由”を願って作りました。

 

■パリで知った“自由の苦しさ”

私はパリに来る前、テレビ制作会社でニュース番組のディレクターをしていました。仕事をしながら作品制作を続けていたのですが、集中して作品に取り組みたいという思いから、パリ賞に応募しました。

 

私の今までの人生では、常に“やらなければならない事”がありました。義務教育、高校や浪人時代の受験勉強、大学では課題があり、働き出してからも仕事と役割を与えられていました。私はこのパリ滞在で初めて、何をしても自由になったのです。そして、全てを自分で決めなければいけなくなったのです。

ずっと憧れていた理想の環境を手に入れたにもかかわらず、私が陥ったのが、何をしたらいいか分からないという状況でした。私は与えられた自由の大きさを前に、自分のやりたかったことさえも見失ってしまいました。

情けないことに何も出来ない日々が続き、正直に言うと、とても苦しい時間でもありました。それは、1年の滞在を終えた今も続いています。しかし、私はパリでの滞在がなければ、この自由の苦しさを知ることは一生無かったと思います。私は自分の弱さと向き合うことが出来たと思います。

 

パリ滞在を通して異国の文化、新しい友人、知らなかった自分に出会うことが出来ました。ここでの経験は私の人生を大きく変え、より豊かなものにしてくれたと思っています。

 

 

 

井上麻由美 (いのうえ まゆみ)

 

1988年 福岡県生まれ
2012年 女子美術大学ファッション造形学科卒業
2012-2018年 テレビ制作会社報道局勤務 ディレクターを務める
2017 年 平成30年度 第19回「女子美パリ賞」受賞
www.mayumi-inoue.com

 

 

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