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中村菜都子さんのパリ通信 vol.2 – 私の教会2018.01.19

 

 

 美しい体験をした。日が沈むまで川沿いで読書をと思い、ふらっと本を片手に街にでた。いつもと違う小道を通ると教会の入り口が見えた。私が毎日聞く鐘の音はここから来ているのだな。ドアを開けて中に入ると聖体拝領の最中だった。祭壇の左隅に身をおいてしばらくその様子を眺めさせて頂く。西日がステンドグラスを美しく染め、香炉から立ち上る煙が天に届く。司祭と修道女の美しい歌声。オルガンの調べ。静寂と人々の祈り。下唇をぐっと噛まなければ感動のあまりに涙がこぼれてしまいそうだった。目の前にいるごく普通の青年が土下座のように身を屈め、祈りを捧げる。外に出ればいつもの風景。けれども教会の中では1日3回このようなミサが行われている。フランスがカトリックの国だということ、フランスの日々の生活の中に神が宿っていることを改めて感じ、西洋において美しい物は全て神の為にあるのだと身を以て知ることができた。

 

 この日以来、サン・ジェルヴェ=サン・プロテ教会(Eglise St-Gervais-St-Protais)を私の教会と名付け足しげく通うようになった。2世紀頃、ローマ皇帝暴君ネロにより殺害され聖人となった、双子の聖人、聖ジェルヴェと聖プロテを祭った教会である。「どの宗教の方でも受け入れます」という文章を教会の冊子の中に見つけてからは、キリスト教徒でない私もいっそう気兼ねなく足を運ぶことができるようになった。心を落ち着かせたい時、良いことが起きた時、ここに来ては祭壇の裏にあるチャペルでひとり静かな時を過ごすことがパリでの大切な習慣となった。サン・ジェルヴェ=サン・プロテ教会は、6世紀にセーヌ川右岸初の教区教会として建てられた。セーヌ川の氾濫を避け、小高い塚 (Place de Gréve the Monceau) の上に立てられたこの教会は、この近くで暮らす船頭や漁師たちが多く通ったそうだ。

 

 キリスト教徒にとって船は教会を表し、教会はこの世の嵐を乗り越え誘惑という暗礁を避けて信者達を無事に救いという港へ運ぶ船である。/ キリストがペトロへかけた言葉。「あなたは人間をとる漁師になる。つまり漁をすることは神の加護により兄弟である人間を回心させ、救うことにほかならない」。/ 魚が一尾だけ描かれているのはキリストへの固い信仰を表す。/ 川は命そのもののシンボルであり、誕生から死に至までの人生の比喩である。/という聖書の言葉が、この教会に通う船頭や漁師達の姿とかなさり、次々と頭の中に浮かんでくる。この川の近くに建てられた教会の偶然の意味について想いを巡らせながら。

 

 現在の教会は1497年-1657年に建設された。外観はバロック様式、内装はゴシック様式の教会建築である。若かきルイ13世が最初の礎石を置いたのだそうだ。教会内、上部は後期ゴシック様式、下部はルネサンス様式が用いられており、身廊部分は、縦のラインが美しい、飾らない素朴さと、厳かな高さが印象的だ。船底にあたる、半円形のアーチを持つ天井を見上げると、そこには天国を表す精巧な装飾が施されている。床に並ぶ低めのスツールは他のどの教会でも見ることのない特徴を持っている。この低いスツールに腰掛けることにより、神と人間との距離を保ち、神への慎ましい尊敬と信仰を表しているようだ。祭壇の裏手にある、聖母マリアチャペル(Chapel of the Virgin)は、信者が黙想する為の場としてひっそりと佇んでいる。直径2.5メートルの冠を吊るした、木の暖かな温もりを感じるこのチャペルは、どこか日本人にも馴染みやすい空間だ。冬の午後4時、聖母マリアの生涯を表した、フランボヤントゴシック様式のステンドグラスは最も美しい光を湛える。
 

 1975年からはエルサレム修道会の本部として存在している。この教会の修道士/修道女は、沈黙と祈りの場、誰もが迎え入れ分かち合う場、生きることを優先する無償の場、平安の場、観想の場を与えようと試みている。大都市パリの困難、疎外、闘い、仕事、束縛、疲れ、騒音、汚染、苦しみと喜び、罪と神聖を、世間との断絶のうちにも都市生活者として自ら体験することにより、孤独と不安と探索と無関心と匿名のこの「砂漠」に、ひとつのオアシスを掘ろうとする人々である。彼らはどの修道会にも属せず、エルサレムという都市の修道士/修道女なのだ。エルサレム、神が人々に与え下さった都市。イエスが生き、祈り、証し、死に、そして蘇られた都市。今日、3つの一神教が同居していて、かくも悲劇的に分裂している都市。祈りを都市の中に、都市を祈りの中に置くこと。「観想は、人間に行うべく与えられた、もっとも有効な、或はもっとも美しい仕事なのだ」。(教会冊子より一部引用)

 

 クリスマスイブ、サン・ジェルヴェ=サン・プロテ教会で執り行われた夜の礼拝に参加した。この教会らしく、クレシュ・ドゥ・ノエル(Crèche de Noël)と呼ばれるキリスト生誕時の情景を表したジオラマ以外は、取り立てた飾り付けも、クリスマスツリーなぞもなく、静謐で厳かなミサだった。参列者全員に紙製のランタンのようなものが施された細長いキャンドルが配られ、参列者はみな暖かな光を手に聖歌を歌う。いつもと異なることといえば、聖歌斉唱の祭に使われる楽器が、タンバリン、リコーダー、フルート、オカリナといつもより多くの楽器が使用されていたことと、ミサの祭に多くのキリスト教絵画やイコンを拝見させて頂けたことであった。この教会の修道士/修道女たちの歌は「神にすべてをささげる歌」と表現される。フランス語で囁くように、控えめに語りかけるように歌う彼らの歌声は、私がこれまで聞いた聖歌の中で最も心に響く歌声である。オルガン奏者一家、クープラン家が代々音色を奏でたオルガンとともに、この教会は美しい音楽とともに神に祈りをささげる。

 

 クリスマスの数日前、私の暮らす国際芸術都市内で開催された、クロアチア人の画家でアートセラピストのワークショップに参加した。そのワークショップで、あるセルビア人カップルに出会った。ワークショップの後、意気投合しクロアチア人画家、セルビア人カップル、他数人で画家の部屋で飲むことになった。深夜も過ぎ、少し酔いが回ったところで、セルビア人カップルの男性の方がわずかに焦点の定まらない目でふとこんなことを言った。

 

彼:「生まれた時から自分の中の悪と戦っている。悪と闘い自分がより良い人間になれば、周りの人間も変わるはずだ。他人を変えることも、ましてや人間全体を変えること、世界を変えることなんてできない。自分の中の自分を変えるしかない

私:「原罪を背負って生きているということ?」

彼:「そうだ」

私:「私たち日本人にも馴染みやすい考え方だと思う。私たちはより良い人間になり、仏様に近づけるよう、この世で人間として修行を積んでいると感じているんだ」

彼:「ニルバーナに行くためでしょ?」

私:「そうだね」

彼:「僕たちは永遠を求めている」

と言ったところで、飲んだ席で神聖な話しをしていることに躊躇した彼は、一瞬ためらい胸元で十字をきり、話をつづけた。

彼:「宗教的な話しじゃない

私:「精神性の話しだよね?」

彼:「そうだ」

時間にしたらほんの数分。内戦の悲惨さを知る彼からこのような言葉を聞けたことが私自身にまるわる物事の捉え方を考え直すきっかけとなった。ここシテ・デザールで暮らしてから、様々な背景を持つアーティストに出会った。キリスト教に関心を示すイスラエルのユダヤ人、イスラム教を棄教しフランスに亡命したイラン人、人間と世界が大嫌いな無宗教のドイツ人、そして罪を背負い自身の悪と闘うセビリア人。彼らがアートという媒介を通し世の中を観ているからか、自分の中にある目に見えない何かを信じているということを共有する場面にたびたび遭遇する。そして美術や音楽を含む美しい物全てが神の為にあるのだとしたら、私の教会にいる、修道士/修道女、信者の方々もおそらくきっと同じような気持ちを持ち合わせているのではないかと思う。

 

私:「神様があなたの言葉を借りて、私にメッセージを伝えてくれたみたいだ」

彼は軽く私の手の甲にキスをした。

 

 

サン・ジェルヴェ=サン・プロテ教会(Eglise St-Gervais-St-Protais)

 

 

天国を表す装飾が美しい天井

 

 

聖母マリアチャペル(Chapel of the Virgin)

 

 

クレシュ・ドゥ・ノエル(Crèche de Noël)

 

 

教会とセーヌ川

 

< 中村菜都子さんのパリ通信 vol.3 – 祈りの旅

 

 

 

中村菜都子

1974年生まれ

1995年女子美術短期大学造形科生活デザイン専攻 卒業

2005年ロンドン芸術大学ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション 卒業

100周年記念大村文子基金 平成29年度 第18回「女子美パリ賞」受賞

祖母の故郷、長崎を訪れたことをきっかけに、長崎の潜伏クリスチャンの文化に興味を持つようになる。彼らの数奇な運命を辿りながら、自分自身のルーツを探る旅をしている。

作家、辻仁成氏が編集長を務める「人生をデザインする」webマガジンdesign storiesにも寄稿させて頂いています。


Official website https://www.natsukonakamura.com/

 

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