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up date 2003.02.03

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ライブラリでは、アートの様々な分野で第一線に立つ、ビッグな女子美の大先輩をご紹介いたします。

ライブラリ第5回
陳 進(国画家・膠彩画家)―前編 −後編
 
陳進 陳進さんは台湾女性として初めて日本へ留学して美術を学び、画家として生涯創作を続けました。1997年には台湾の芸術家最高栄誉といわれる行政院文化奨を受賞しています。繊細な作品、豊かな経歴は台湾美術史上、現在も重要な位置を占めています。

1929年(昭和4年) 日本画科高等師範科卒業

年譜はこちらです。





日本と台湾の美術の架け橋

25才の頃の陳進
25才の頃の陳進
戦前の台湾から女子美術大学への留学生は1922年(大正11年)の陣全員さんからはじまり1943年(昭和18年)までで12名が確認されています。残念ながら、現在直接に連絡できる方はいませんが、台湾において最も有名な国画家、陳進さんは現在も多くの作品、資料が残されています。

陳進さんは幼い頃より恵まれた環境のもとで教養を身につけ、台湾女性として初めて日本へ留学して美術を学び、画家として生涯制作を続けました。女子美在学中の作品「姿」「嬰粟」「朝」が当時の台湾の国策で開始された第一回台展(台湾美術展覧会)東洋画部で入選し、賞賛を受けました。その後も、入選を続け、のちには審査員になっています。
女子美を卒業後の陳進さんは厳しい社会背景の中、日本と台湾を行き来して創作発表を続け、台展などで活躍しながら1934年(昭和9年)日本第十五回帝展に「合奏」で入選をしています。この台湾女性の活躍は当時の日本の新聞などでも報道されるほどでした。日本で学んだ日本画の技術を生かしながら、信念をもって台湾の民族、文化のイメージを融合させ、陳進さんは独自の画風を確立していきました。台湾では特に膠彩画の発展に尽くされました。
またその現代的な思想、行動、地位は、その繊細で女性らしい感性、生き方とともに台湾では憧れの的だったようです。

昨年2003年8月には台湾の国立歴史博物館に於いて特別展「悠閑靜思――陳進仕女之美」が約一ヶ月間開催されました。さらに近年では陳進美術館設立の声も上がっているようです。日本でも陳進さんを研究しているところもあり、今後実際に作品を鑑賞する機会が増えてくるものと期待されています。
また、2003年5月に女子美術大学ガレリアニケで開催された「アジアの華――時代を駆けた女子美の留学生たち」展でも戦前の女子美の台湾からの代表的な留学生として陳進さんが紹介され、繊細で女性らしい作品が注目を集めました。この展覧会のあとを受け、女子美術大学アートミュージアムで拡大された内容の「アジアの華II――美の環流」展が開催されます。この展覧会では多くの作品が集められ、実際に陳進さんの作品を見ることが出来る日本では貴重な展覧会となっています。



陳進さんの女子美入学前後について中国の雑誌に掲載された記事をご紹介します。

「姿」1927年 「姿」1927年
「姿」1927年 「姿」1927年
「姿」1927年
学生時代の作品  第1回
台展入選作
「悠閑」1935年 「悠閑」1935年
「悠閑」1935年 「悠閑」1935年
「悠閑」1935年
 膠彩 台北市立美術館蔵
陳進さんは1907年(明治40年)、台湾の新竹懸香山荘に生まれました。父は学問に造詣の深い人で、別宅「静山居」を地元の子女教育のために学校として開放していました。陳さんは当時台湾女性の最高学府とされていた台北第三高等女学校に入学し、東京美術学校出身の美術教師・郷原古統より指導を受けました。彼女に絵画の天分を見出した郷原は、日本への留学を父親に熱心に勧め、その結果1925年(大正14年)、彼女は日本にわたって絵の勉強を続けることになりました。この時の彼女の年齢は、この当時の台湾女性であれば結婚しているか、または結婚を待つ時期であり、非凡な人生を送ろうとの彼女の決意が伺われます。
日本に来た彼女は、当然のように女子美(当時は女子美術学校)の日本画科高等師範科に入学しました。
1929年(昭和4年)に卒業するまでの4年間、彼女は課業に熱心に取り組むのはもちろんのこと、校外の展覧会でも優秀な成績を収めました。特筆すべきは1927年(昭和2年)に当時の国策としておこなわれた「台展」に入選したことです。彼女はこうした好成績におごることなく、画業に真摯にとりくみました。
女子美卒業後は鏑木清方の門に入ってさらに研鑚を積みます。「台展」に連続入選、1930年(昭和5年)には無審査、1932年(昭和7年)には審査員となります。このことはただ台湾の美術の発展に一頁を加えたというだけでなく、女性芸術家の能力が認められたということも示しています。
制作と同時に彼女は高雄州立屏東高等女学校の教師となりましたが、これは台湾籍の女性が高等女学校教師となった最初の例です。

彼女の作風は強固なリアリズムを基盤とし、見るものに対していのちの展開とそこでの愛情の発露を感じさせるものです。作品に登場するのは彼女が深く愛し、親しんだ人々や、同時代の人物を理想的にかたどったものです。彼女の作品には、いのちの輝きと歩んだ歳月の重みがともどもによく表現されているのです。

(雑誌『中国巨匠美術週刊』1996年2月3日号記事より抄訳)
 
「婦女図」1945年 「婦女図」1945年
「婦女図」1945年 「婦女図」1945年
「婦女図」1945年
絹布 膠彩 作者自家所蔵
「婦女図」
パーマへアにチャイナドレスという姿は1920〜30年代に流行していたため、陳進の1930年代の作品に於いても髪型とチャイナドレスに変化が見られる。陳進は台湾が祖国復帰した時に台湾に戻って来たが、当時大陸から台湾に渡ってきた人々が流行の上海スタイルのチャイナドレスを広めたことから上海・香港旋風が巻き起こっていた。台北の街では流行を追う女性の姿が多く見られるようになり、<婦女図>はまさにその時代の背景を絵画に反映させた作品である。
5人の女性はそれぞれ特色のある髪型に色や模様の異なるチャイナドレスを身につけており、このうち頭を率いる女性は右腕に緑の手提げを掛け、右手には日傘を、左手にサングラスを握っている。先頭から2人目の女性は黒のハンドバッグを肩から掛け、腕には最新の腕時計をしており、3人目は縁取りのあるハンカチを握っている。人物の描写を手前から徐々にぼかすことで、位置の遠近を表現している。服、靴のスタイルや人物の動きを統一させる一方で、色や図案、持ち物で変化をつける手法は、群像画にみられる技法の一つである。人物の描写が完全一致では全てが同じに見え、完全に異なる場合も画面に混乱をきたす恐れがあるため、作者は異なるなかに同一性を求め、視覚的な統一感を図っており、美の要素をさらに高めている。

(作品解説 黄 士純/「悠閑靜思――陳進仕女之美」展図録より)
   
後編に続く



【主な収蔵先】

国立歴史博物館(台北)
台北市立美術館(台湾)
高雄市立美術館(台湾)
高雄市立歴史博物館(台湾)
順益台湾原住民博物館(台湾)
東之画廊(台北)
福岡アジア美術館
蕭 成家(個人蔵)


【参考文献】

「中国巨匠美術週刊」1996年
「悠閑靜思――陳進仕女之美」展図録 国立歴史博物館 (台北)2003年


【協力】

蕭 成家 
羅 成純
黄 士純
林 キイン
国立歴史博物館 (台北)
女子美術大学歴史資料整備委員会
 
 
credit