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陳進さんは1907年(明治40年)、台湾の新竹懸香山荘に生まれました。父は学問に造詣の深い人で、別宅「静山居」を地元の子女教育のために学校として開放していました。陳さんは当時台湾女性の最高学府とされていた台北第三高等女学校に入学し、東京美術学校出身の美術教師・郷原古統より指導を受けました。彼女に絵画の天分を見出した郷原は、日本への留学を父親に熱心に勧め、その結果1925年(大正14年)、彼女は日本にわたって絵の勉強を続けることになりました。この時の彼女の年齢は、この当時の台湾女性であれば結婚しているか、または結婚を待つ時期であり、非凡な人生を送ろうとの彼女の決意が伺われます。
日本に来た彼女は、当然のように女子美(当時は女子美術学校)の日本画科高等師範科に入学しました。
1929年(昭和4年)に卒業するまでの4年間、彼女は課業に熱心に取り組むのはもちろんのこと、校外の展覧会でも優秀な成績を収めました。特筆すべきは1927年(昭和2年)に当時の国策としておこなわれた「台展」に入選したことです。彼女はこうした好成績におごることなく、画業に真摯にとりくみました。
女子美卒業後は鏑木清方の門に入ってさらに研鑚を積みます。「台展」に連続入選、1930年(昭和5年)には無審査、1932年(昭和7年)には審査員となります。このことはただ台湾の美術の発展に一頁を加えたというだけでなく、女性芸術家の能力が認められたということも示しています。
制作と同時に彼女は高雄州立屏東高等女学校の教師となりましたが、これは台湾籍の女性が高等女学校教師となった最初の例です。
彼女の作風は強固なリアリズムを基盤とし、見るものに対していのちの展開とそこでの愛情の発露を感じさせるものです。作品に登場するのは彼女が深く愛し、親しんだ人々や、同時代の人物を理想的にかたどったものです。彼女の作品には、いのちの輝きと歩んだ歳月の重みがともどもによく表現されているのです。
(雑誌『中国巨匠美術週刊』1996年2月3日号記事より抄訳) |